ストロング金剛としての芸能活動は以下の通りになります。
映画
1982年
伊賀忍法帖
1983年
伊賀野カバ丸
探偵物語
1985年
野蛮人のように
1987年
塀の中の懲りない面々
1988年
ひいふうみぃ
どくだみ荘
ファイルファイト
テレビドラマ
1982年
銭形平次
寛永御前試合
Gメン82
1983年
エプロンおばさん
ザ・サスペンス
科学戦隊ダイナマン
胸キュン探偵団
ベットントン
水戸黄門
月曜ドラマランド
超電子バイオマン
1984年
部長刑事
高見山物語
1985年
影の軍団��
暴れん坊将軍
遠山の金さん
巨獣特捜ジャスピオン
東芝日曜劇場
月曜ドラマランド
1986年
パパ合格・ママ失格
土曜スペシャル
1987年
金田一耕助シリーズ 香水心中
ハングマンGOGO
ベイシティ刑事
ベッドでパパと呼ばないで
こんな学園見たことない
男女逆転物語
三匹が斬る
1989年
盗みは人のためならず
ラベンダーの風吹く丘
勝手にしやがれヘイ!ブラザー
ドラマチック22 二人の妻を
1990年
NHKテレビ小説 凛凛と
愛し合ってるかいスペシャル
1991年
NHK大河ドラマ 太平記
代表取締役刑事
東芝日曜劇場
1992年
NHK大河ドラマ 琉球の風
NHKパラダイスオブパラダイス
1994年
NHK大河ドラマ 花の乱
1995年
NHK大河ドラマ 八代将軍吉宗
テレビ バラエティー(レギュラー含む)
1983年
テレビ朝日 新伍の笑えティー教室
テレビ朝日、東映大泉 超電子バイオマン
1984年
テレビ東京 おもしろプレヌーン
1985年
関西テレビ、東映京都 影の軍団��
テレビ東京 レッツGoアイドル
1986年
テレビ朝日 タモリ倶楽部
TBS 風雲たけし城
1987年
テレビ東京 ヤンヤン歌うスタジオ
フジテレビ 夕やけニャンニャン
フジテレビ 合羽坂学園
1989年
TBS 北野テレビ
舞台
1992年
名古屋御園座 水戸黄門
CM
1985年
八千代産業株式会社 清水器華厳
1989年
ファイザーオーラルケア株式会社 ブラックス
1990年
合同酒精株式会社 ワリッカスーパーブラウン
東京農業大学 短期大学農学科ガイドポスター
株式会社第一建装
1991年
東京モード学園 コンピューター校HÅL
株式会社エポック社 バーコードバトラー
三久産業株式会社
株式会社日免レンタリース
株式会社金剛
新羅会館家族亭
1992年
株式会社講談社
エムジージャパン株式会社
三久産業株式会社
ハートファミリー
株式会社アオキーズコーポレーション
1993年
三久産業株式会社
新羅会館家族亭
株式会社金剛
1994年
三久産業株式会社
新羅会館家族亭
株式会社幸楽
株式会社金剛
株式会社ユニ生活倉庫
1995年
三久産業株式会社
株式会社幸楽
2000年
三久産業株式会社
レコード、CD
1987年クラウンレコード
それゆけ金剛
まじめのみじめはくらめのとどめ
1988年キングレコード
花の追網
俺は闘犬
1991年キングレコード
箱根の旅路
1992年ポニーキャニオン
ストリートファイター��
92年3月1日横浜アリーナで行われた新日本プロレス創立20周年記念興行第2弾「超戦士IN横浜アリーナ」で10年5か月ぶりにリングに登場、坂口征二(90年3月引退)とのタッグでタイガー・ジェット・シン&上田馬之助組とエキシビションマッチ10分1本勝負で対戦、懐かしの北米タッグ王座のチャンピオンベルトを締めて入場してきました。
試合は6分58秒、シンがS小林に急所攻撃を見舞い坂口&S小林組の反則勝ちとなりました。なお、現役時代に使用したガウンやタイツ、リングシューズなどのコスチュームは、ファンや知人にプレゼントしてしまい残っていなかった為、作務衣をガウン代わりに、唯一手元に残っていたWWWFに遠征した際に着用した田吾作スタイルのニータイツを着用し、裸足で試合に出場しました。
06年にはベースボールマガジン社発行の「ザ・レトロマニア」では当時「スネークピットジャパン」のトレーナーとして日本に住んでいたかつてのライバル、ビル・ロビンソンと対談しています。
最愛の母も95年に死去。芸能活動は95年前後に引退、また芸能活動を引退後に脊髄損傷の重傷を負い、その影響から下半身麻痺になり、2018年から寝たきり生活になっていました。S小林本人は取材を断っていましたが、介護していた実妹さち子さんより「プロレス界にストロング小林がいたっていうことを残してもらいたい」という希望で仲介役となり、21年11月にはスポーツ報知のインタビューを受けています。
21年12月31日7時21分、膿肺のため、東京都青梅市内の病院で死去。享年81歳。21年夏頃から特別養護老人ホームに入居し生活していましたが、同年11月9日に吐血して入院。一時危篤に陥り、4日目に意識を取り戻したものの、寝たきりの状態が続いていたことから肺の状態を悪化させ、痰が左肺に入り込んだうえ、右肺には水が溜まる状態となっていました。
その後12月末に症状が悪化し、大晦日に家族に見守られながら息を引き取ったといいます。葬儀・告別式は年が明けた22年1月9日に青梅市民斎場で行われ、元新日本プロレス専務取締役営業本部長新間寿、ストロングスタイルプロレスの平井丈雅代表らが参列しました。戒名は「金剛院釋誓省」。
新日本プロレスの坂口征二相談役、ドラディション代表の藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスクの佐山サトル、元新日本プロレスレフェリーのミスター高橋から供花が届けられました。
祭壇には、S小林が71年6月にIWA世界ヘビー級王座を奪取し7月に凱旋帰国した時に羽田空港で会見した写真が遺影として飾られ。また、棺には現役時代に着用したガウン、訃報を伝える新聞記事、ファンレター、写真などが収められました。
出棺の際「天国でもプロレスラーとして活躍して欲しい」との願いを込め、ひつぎに「ストロング小林」と染め抜かれたオレンジ色のガウンがかけられ、親族、知人、友人に見守られ、S小林は旅立って行きました。見送った新間は「これほどの悲しみ、寂しさはありません。一時代が終わった感があります」と涙を流し、喪主を務めた妹のさち子さん(73)は「親しい方々に見送られて兄は幸せだったと思います」と明かし、「天国で(ラッシャー)木村さん、(山本)小鉄さん、そして育てていただいた(国際プロレス社長の)の吉原(功)さんたちと会って、またプロレスを続けるかもしれませんね」と語っています。
さち子さんの口から「猪木」の名前が出なかったのはS小林は猪木のことは死ぬまで良くは言ってなかったのでしょう。
23年12月15日〜19日まで青梅市内のJR河辺(かべ)駅前に位置する「西友河辺店」4階の市民ホールで「ストロング小林展」開催されました。私は2日目の16日に観に行っています。
入場無料、展示物は、S小林さんの遺族が全面協力し約80点の写真。生前、自宅で所蔵していたガウン、タイツ、さらに67年7月27日国際プロレス名古屋市金山体育館で日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューしたマスクなど多くの貴重な品が展示されています。
展覧会を主催したのは「ストロング小林展実行委員会」の持田一博委員長。青梅市内で自営業を営む持田氏は、中学1年の時から亡くなるまで40年あまり公私ともに小林さんと親交を重ねてきました。
展覧会開催を持田氏は「私は試合はもちろん、小林さんの自宅にもお邪魔させていただいて、ファンとして多くの感動をいただきました。その思いをいつかお返ししたいと思っていましたが、小林さんがお亡くなりなってしまいました。それは私にとってとても無念でつらいことだったんですが、今年3回忌を迎えることで、小林さんはお亡くなりなってしまいましたが、地元の青梅の方に“ストロング小林という偉大な方がこの町にいたんだよ”ということを少しでも知って欲しくて開催を決意しました」と明かしています。
開催に向けて晩年のS小林と同居していた妹のさち子さんから協力を求め快諾。そこから開催までの半年間、S小林の自宅に足を運び、写真の選定、所蔵していた貴重品を発掘し展示品を整理しました。
さらに「京都プロレス美術館」(京都市左京区)の湯沢利彦館長が全面協力。全盛期に身長187cm、体重125KgあったS小林の筋骨隆々の体格を再現する等身大パネルを入口に設置。
「僕が小林さんとお会いするたびにいつもオーラを感じていたのが、あの大きさだったんです。だから、来場してくれる方々にも小林さんの体のデカさを分かって欲しかった」(持田氏)さらに来場者への感謝を届けるべく無料でポストカードも配布。これも全て持田氏の自費制作でした。
また、会場内にはテレビが設置され、S小林がホームビデオで録画していた74年3月19日蔵前国技館での猪木とのNWF世界ヘビー級選手権試合、75年4月4日蔵前国技館での坂口との第2回ワールド・リーグ戦公式戦、また映像ソフト化されていない75年9月11日福岡スポーツセンターでの坂口&S小林組vsジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスとのノンタイトル戦などが当時のCMそのままに上映されていました。
「気は優しくて力持ち」優しい性格が故、プロレスの世界では損をした部分も多数ありましたが不器用だけど生真面目な試合ぶりは多くのファンを獲得、74年3月19日と同年12月12日蔵前国技館での猪木との2試合は半世紀経った今も日本プロレス史上に永遠に語り継がれる不滅の名勝負となりました。
ストロング小林さん、長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。全部ではないですが小林さんの試合をリアルタイムで見ることが出来、同じ時代を共有出来て幸せです。ゆっくりとお休み下さい。(完)
※ストロング小林さん追悼は今回で終了となります。2022年1月7日から2年10か月に亘って最後までお読み頂きありがとうございました。次回より「ジャンボ鶴田怪物伝説」を復活させてお届け致します。引き続きお楽しみ下さい。
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