暴力団の街・川崎
神戸や広島、そしてメッカ北九州には敵わないけど、そこそこに事務所があって、倶利伽羅悶々な怖い人が闊歩している
地元の銭湯に出掛けると、この日も4人のヤクザ屋さん。
長年、この町に住んでいるけど紋々のルールがわからない。
一番怖い人は背中に青い阿修羅と、お尻には千両か南天の赤い粒粒。いや、ダニに刺された痕だった
一番若い荒川良良みたいな豆タンク。彼の背中は、まるでジャコメッティのデッサンのように細い線が5,6本並んでいる…だけ。ただの縦線
前座と真打の違いのようなものなのか、背中のデザインで決まっているようだ。
国立近代美術館《承前》
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たっぷりとリヒター展を愉しんでから、竹橋のもう一つの楽しみ、コレクション展。
もう一体、何度目になるだろうか。
第1室・原田直次郎『騎龍観音』に出会うたびに、紳士だったあのころを思い出す
リヒターとピカソ。
いつもはどんなに混雑した企画展があっても、2階以上の常設展は閑散として心地の良い鑑賞空間を確保してくれていた。
ところが、今回は企画展出口に「リヒター作品が常設展(4階)にもあるでよ」と、わざわざ掲示されているものだから、気が付いたインスタ蠅たちがわんざかと訪れている。
ゴームリーのスッポンポンな男性裸像には、3,4人が後ろに並び、youtubeのネタ造り



これが、仲間に加わりたいほどスマートで楽しそうに撮影を行っていた。
岡鹿之助や藤島武二。
有難いことに、リヒター目的の連中は、日本画家にはほとんど興味なく、あっさりと眺めて去っていく。結局は、とても快適なる空間。
モンドリアンのような、それでいて原色がたくさんの長方形作品もリヒターとあるけど、正解はハンス・リヒター、1923年作品。く
だんのリヒターとは無関係で流派はダダイズム。
シュールな日本作家たち。
初見ではないけれど、北脇昇『クォ・ヴァディス』(1949)が実にいい。
道標の左は左翼たちの赤い旗によるデモ行動。右に行けば、その先は嵐。きっと、国を守るために敗戦確実の嵐の中が暗示されている。
さて、巻貝から現れたばかりのおっさん、分厚い書籍を抱えてどちらへ行くのだろう。
竹橋に来て、この作品を見つけるたびに写真を撮っている。結局、こんなカラフルな絵画が好きなのだ

アイオー。
三岸好太郎。
次々と少ないけれど知識のある作家さんが現われてくる。
企画展だけでは終わらないナショナルミュージアムの贅沢。
須田国太郎にボナールのネコを見つけたと思いきや、それは見間違えで鷲だった
しかし、こんなイージーミスさえもスルーされて、驚愕を与えていたのが松本竣介『Y市の橋』(1943)。竹橋に来るたびに展示されているはずなのに、観るたびに感動がやってくる。
舞台になった場所が横浜市ゆえ、神奈川県民の鑑賞者を除けば、残念ながらこの作品の前に佇んで堪能する鑑賞客は皆無。リヒター派には理解してもらえない。
さらに、柱の陰にもう1枚の松本竣介『並木道』(1943)
この作品。本郷通りの並木道を登っていくと、向こう側に見えてくるはずのニコライ堂。
全くの偶然だったけどここ竹橋を出たら、いよいよコロナくんの長期閉鎖から抜け出して一般開放がされているニコライ堂に行く。そんな日曜日のプランだったのだから。
竹橋、3時間。
いつものことだけど、どうしたってこのぐらいの時間を要す。大好きな美術館。
如水会館で初めての《メロンマロンシャンテリー》でほっぺたを落とし、そのまま15分歩いてニコライ堂。
ロシア正教会が、今回の戦争にどのような評価を下しているのか、そちらのほうも興味があったけど、教会内は触れずじまい。
ジョサイア・コンドルの名建築を堪能して、会堂内の椅子に腰かけて3年前にエストニアに思いを馳せていた。
タリン旧市街の小さな正教会。ここで八端十字架の意味を教えてもらったのだろうか。
やがて、2019年の美の巨人が流される。ニコライの鐘が鳴り響くシーンには、再びタリン旧市街の想い出が同心梅のごとくに蘇える。夢のようだ。

ミラ・ジョヴォヴィッチの娘、流ちょうな日本語で弾き語り ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」をカバー
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