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2021年10月15日12:11

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魚影の群れ2


お引越し以降の後期の作品など相米慎二テクスト、供儀が表されている観がする。表されているというよりも作品そのものが供儀の様相。だから是枝の幻の光とは違ったセンスである。同じ映像体験でも、喪の儀式に参列しているようなではなく、こちらの感覚が供儀と化すかのよう。台風クラブは供儀が行われているのを眺めている感じだったけれど、感覚が実はもうすでに供儀になっていたのかとラストは融即されるような引きずりこみをおぼえ、魚影は作品そのものにはじめから感覚がだんだんと融即されるセンスおぼえる。最初からずっとあったのか。魚影の群れ、最初の方は若者の台頭とともに先人のフェイドアウトのようになるのかと勘ぐればさにあらず、己が追うものになによりも没頭してしまうアーティスト型の緒形拳は常に幻を追い続ける病のまま。緒形拳に死が訪れることはない。80年代はWケンの時代でもあった。高倉健と同様に緒形拳は決して死なない。幻を追い続ける不死に我々は在る。そして幻は、我々の確かに持つ身体であることを感じていく。長回しがそういう感覚を深める。そこに父と娘、彼女の恋人、漁港のある町、そして海がある。人と切り離せない供儀がそこにある。



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