『ディストラクション・ベイビーズ』
おもしろかった。ビーバップやクローズのような戦いに明け暮れる日々を描いたものと思っていたら、もっとリアリズムな作品であった。描写はリアリズムでも、表現されるものは映画的リアリズムなもの。どんなに倒されても蠢き続け、そして再び起きあがるゾンビ、勝新的なリアリズムの柳楽、悪名コンビのような柳楽とお調子者の菅田、ニューシネマ・イン・ハリウッド、日本風に言えばアメリカン・ニューシネマ的な乾いた大陸的空間(広く殺風景でも人間的な暖かみがある)、そして日本的なメディア拡散映像のざわめき、それらで構成されていてもオリジナリティ感じさせるセンス。でも、小松を捕獲し、地獄の逃避行や続激突なロードムーヴィーになるかに見えても、始まったのはコンテンポラリー邦画的狂気。小松は弾き殺してしまう。ひきこまれて観ていたのに、これ、、いろんな映画で描かれまくってまたか、と思ってしまい、私的にちょっとトーンダウン。こうした心理は現実的なものか、或いはイメージとしての心理か。今世紀に入っての邦画のベストの�癸韻�バトルロワイヤルとなにかにあったが、サンクスフォー深作欣二。北野武にもコンテンポラリー狂気をアクターとしてもディレクターとしても橋渡しをし、黒沢清、三池崇史、園子温もまた描き続け、その他あまたある映画がこの20年間やたらと描き続けるジャパニーズ狂気、新鮮に感じていたものが、もうノーモアとトーンダウン。でもその後、花火のいじめにより日本的な歪さの構造も表される。これもありがちだけど、でもとにかく、主人公の鬱積も菅田の閉塞から抜け出したい解放の希求も小松の日常に求める小さなスリルとこズルしさも抽象的に理解させショートカットに納得させてしまう。反抗や怒りだけでなく、欲望のぞかせる。あんた楽しけりゃいいんだよな、俺もそうだ、と不敵な笑みを浮かべる。笑みはそこでは不気味にあっても、ラストまで観ていくと爽快に繋がる。弟の祭りを見るときの笑顔とフードから顔をのぞかせ権力に襲いかかる兄、不条理の狂気と後味悪いをのこすでなく、爽快なセンスを、寧ろ希望めいたものを伝わらせるのはやはり、最初から最後までずっとい続ける柳楽のホワットとハウがその無言の行動にちゃんと顕れていたからなのであろう。
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