『ブラックパンサー』、ケンドリックラマーの音楽が話題になったり、マーヴェルの中でも社会性描いてると話題になったり、ってので気になり観るも、滝の向こうに隠れもってるテクノシティが、摩天楼かドバイか、という感じで、けっきょく西洋ナイズされたものでしかないものが表され、これでは、アフリカのふりをしてアメリカンな『星の王子 ニューヨークへ行く』のエイティーずからなんの進歩もしてないじゃん、松田優作的に、なんじゃーこりゃっ!と驚かされたが、観てくと、アメリカ国内の同胞同士の争いとアメリカが介入してさせてるアフリカでの同胞同士の内紛、しいてはそれはゴローバルに起こりえ起こってることを、なるほど、と分かりやすく相対化し構図化してるとこに、色々感慨深いものを感じさせる、そうした面白い作品であった。アメリカンナイズして観させる、というのも、それはそれでしょうがない。これはアメリカ映画なのであるから。
P.S.
アフリカンの視点ってより、ブラックアメリカンの眼差し、から、っての、これが(死語になってるかどうか分からんが)グローカルってなものなののか、とも思ってきたりもする。そうしたものも、分かりやすく出してるような気がする。
ケイト・ベッキンセイルのファンであるので『トータル・リコール』よかった。ケイトかっこよかった。ヴァーホーベンのを観るついでに観たが、ボーン・シリーズ以前からこうしたのあったんだ、となる。も雰囲気、ブレードランナーやマイノリティ・リポート的なものはK・ディックであるからというよりも、映画的傾向のそれであり、ヴァーホーベンのは彼らしくサイケでサイコマニアックなソドムだったので、ユニークさはヴァーホーベンのが際立ってるのではなかろうか。
デザイントークスプラスで、誰かが、歴史は未来に作られるもの、というようなことを言っていたが、希望がある言葉として言ったのであろうが、イストワール(歴史=物語)というワードに照らせば、歴史(=記憶)は或るイデオロギーの主観で捏造される危険なものとも思えるけれど、この新しい『トータル・リコール』でも「過去は主観的なもの」というセリフがあったが、なるほど、そっちの方が私的にピンとくる。また、アメリカ映画的なのか、K・ディック的なのか分からないけれど、過去は主観的なものと言うセリフの後に出てくる「今の心が大事」というセリフ、それはそれで納得できるものある。いかにも、アメリカン映画的な言葉ではあるが。
P.S.
現在がドゥルースが言うような、過去把持と未来予持の生成性があるものかどうか分からないが、ヒグマ春夫さんがよく、なぜ今を語らないんだ、と言われるけど、そうだ、そうしよう。エドルシェーもリヒターもジェフウォールもビルヴィオラも、ロバートモリスもジョセフコスースもラウシェンバーグもアランカプローも、クリスチャンベールもクリスチャンディオールもジャスティンビーバーもケンドリックラマーも記憶から一掃して、今を生きることにしよう。
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