『ブルース・ブラザース』
かつてはあまりにも過剰にデストロイし過ぎで登場人物間の齟齬が生み出す遣り取りにもとぼけた意味でのスラップスティックにも乏しく、このあまりにもストレート過ぎに面白さを感じなかったけれど、今回は観賞指向性が違ってきているのか、タチにも通じるモーションや、実は在ったとぼけた意味でのスラップスティックにも目が届いてく。まさに映画的、すなわち音声的光学的であり、そのシニフィアンの戯れ、(無意味を貫くではなく)意味をソリッドに削ぎ落としエモーションはぶきモーションをダイナミズムにする。
ヒューズのような家族社会構成員はつらいよ、も恋愛の繊細な悩みもエモーショナルなとこ木っ端微塵に無視して、ランディスはバディ同士の絆を男女問わずに混合し表している。いつも孤高に街と戯れるユロ氏と違って、ランディスの主人公たちはキズナがなければシニカルなばかりの都市空間を生きていけない。キズナはシニフィアンにおいて無駄を排除した只々モーションとして表現される。カソリック文化とプロテスタント文化の違いが、タチのフランスとは違うアメリカに表されるとき、そこにはブルースが響きわたる。ドライながらも皆は人の温もりを求めている。Everybody Needs Somebody to Love。
ログインしてコメントを確認・投稿する