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2018年06月09日23:56

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ニューハリウッド論 セヴンティーズ




 1960年代後半のディストピアを描くアルファビル、バーバレラ、キューブリックカサヴェテス、猿の惑星、真夜中のカーボーイ、ナイト・オン・ザ・リヴィングデッドは規制の緩和による表現の幅持たせは別にしても、ディストピア表すその理由が激動の時代的に分かるが、ウォーターゲートやヴェトナム戦争より前の1960年、『アパートの鍵貸します』や『サイコ』がなぜにアメリカンドリームの崩壊をあらわしたのか、その理由は何故なのか。赤狩りマッカーシズムは54年には終わっているし、その恐怖の余波がこれらの作品製作に影響を与えたということやその反省は時間の経過的に考えられぬ。冷戦、核と同じようにそれが一因かもしれないが、じっさい、いつでも朗らかに笑顔をみせるアイクがいた時代というのが50年代である。アイクの50年代は、パパは夕方、仕事から戻ってきて自宅の玄関を入ると「アイムホーム」と言ってママにハグをし、子供たちと夕食をともにし、夜はリヴィングルームで読書かルーシーショーを家族団らんで観る、そんな暖かな明朗会計の時代である。そんな時代にアメリカンドリームの崩壊が表されたのは何故なのか。ひょっとしたらワイルダーもヒッチコックも臭いものには蓋を閉めろ的なアメリカの欺瞞を覆したかったのか。冷戦も渦中であり、世界の恐怖は大衆にはいつも身近にあったのか。行き過ぎの経済、モラルの凋落、アッシーくんに送ってもらってチョ〜楽、米ソの睨み合い、コミュニズムの鬼胎、えとせとら。
 現在においてスコセッシとアルトマンは作家主義として名を馳せているが、スコセッシはグローカルなトピックの傑作『ミーンストリート』を別にすれば70年代後半からは、『スターウォーズ』や『ロッキー』と同じように、歪んだ形ではあるが、アメリカンドリームの復活の兆しの流れに乗っている。トラヴィスもパプキンもパラノイアながらも、アメリカらしいハッピーエンドを掴んでいる。ディストピアをメロドラマ叙事詩として表すコッポラとチミノに比し、スコセッシは一風変わった余韻ではあるがハッピーエンドを表しているのである。80年代の『レイジング・ブル』からの後、スコセッシはスター街道を突き進む。スコセッシとアルトマンは作家主義と今日では取り上げられるが、エイティーズにハリウッドと協働関係を深めるスコセッシと違い、アルトマンは70年代においてハリウッド映画作品を出し続ける。ベルイマンへの傾倒、アンチ・アメリカ映画トラディション、そしてアメリカ的泥臭さが溶け合うアルトマンの作品は、反体制を作品で声明し続けたハル・アシュビーと同様、70年代だからこそ大衆の心を掴めたのであろう(註1)。80年の『ポパイ』は強いアメリカの兆しの流れにのった作品である、この興行的失敗が原因でハリウッド映画を撮れなくなったと言われるが、この作品は実際はヒットしたのであり、興行的敗因でアルトマンはハリウッドを追放されたわけなのではない。彼の作品はその時代のハリウッドでしか製作出来ないものであったのであり、アルトマンは彼がやりたいことが出来ないハリウッドに見切りをつけ出て行ったのである。レーガノミクスの時代、メディア企業がアクロバットにコングロマリットするハリウッドでは、訴えられ再思考を求められるアメリカはなくなる。我々が見つめるべき内なるパラノイアはアメリカから他の対象へと視点移動されてゆく。それは例えば『マラソンマン』や『ブラジルから来た少年』のナチスであり、『普通の人々』や『クレイマー、クレイマー』『愛と追憶の日々』の家族間における良心の取り戻しであり、90年代の『運命の逆転』や『氷の微笑』へとやがて繋がっていく『危険な関係』や『危険な情事』の曖昧なまま雰囲気だけを伝えるミステリアスなエロティシズムえとせとらえとせとら、、、、アメリカというビョーキはいかにも回復することできるかのように、シュワルツェネッガーとケヴィンコスナーらと共存する。
 ウディ・アレンはハリウッドの外で、コスモポリタン風に、パラノイアの流れを描き続ける。しかし、それ以前、彼がアニーホールを創る以前に、ハリウッドの中では60年代の後半からアメリカンドリームの復活までの間、ディストピアで起こるパラノイアがテーマとして作品が製作されていたのである。パラノイアを描くことがハリウッドでは難しくなったとき、『キング・オブ・コメディ』と『アフターアワーズ』においてスコセッシはコメディの形で、つまりリアルへの追求としてではなく、パラノイアを表す(註2)。ニューハリウッドを導きアルトマンとギャンブラーしアシュビーとシャンプーしたウォーレン・ベイティは、ハリウッド人らしく、ハリウッドでハリウッドらしい作風のなかで、アルトマンとアシュビーの意思を継承し作品を創造していく。
 『レッズ』からワンディケードを経てナインティーズ、マネーに狂い咲きした後の欝の時代に合ったかのように『ディック・トレイシー』と『バグジー』が表され、『ザ・プレイヤー』、『ショート・カッツ』、『グッドフェローズ』とエンターテイメントのハリウッドにフィットして形でパラノイアは復活を遂げる。

註1:ハル・アシュビーは彼がエディターとして幾作品にも参加したノーマン・ジェイソンのバックアップのもと監督デビューし、アルトマンと同様に70年代にハリウッド内で活躍。当時の潮流にのり、彼らしい抒情性をもちながらヒッピーに反体制的な作品を連発してゆく。しかしハシュビーはヒッピーらしく、80年代に入るとドラッグに溺れ自滅していく。
註2:その後スコセッシは彼としては初のハリウッドスターであり(註3)、アルトマンとは70年代に『ビッグ・アメリカン』と『クインテット』の2本の作品で組んだポール・ニューマンを迎え『ハスラー2』を制作する。
註3:デニーロはスコセッシにおいて同時に名声を確立していくのであり、スター映画としてあったのではない。


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