日曜美術館に録りためている「クラナーハ」「ティツィアーノ」を、展覧会はもうとっくにクロージングなってかなり経った今頃になってようやく観る。クラナーハの作品も素晴らしかったけれど、クラナーハの「ヴィーナス」などが語られるとき、ヨーロッパでは女性は、イヴや魔女狩りにも表わされるように、悪しき力で男性を堕落させる存在として認識されてきた、と、どなたかが言ったことで、あっ、だからリヴェットは『修道女』や『ジャンヌ・ダルク』二部作を創ったんだとあい思った次第なのである。必ずしもそうとは限らないけれど、そういったヨーロッパ的な認識のなかで、リヴェットは作品制作に臨んだのではなかろうか。日本でも怪談や浄瑠璃歌舞伎などで女性の狂気は表わされるが、ヨーロッパでのそうした先天的な持ち合わせの魔性の女として表わされるではなく、狂気めいたものは因果応報のなかで表わされると思うので、ヨーロッパ人の女性に対する奇異なものを見るような眼差しは、けっこうコケッコウ、ユニークであると感じるのである。リヴェットは『修道女』と『ジャンヌ・ダルク』で、魔性の女を描いたわけでも女性を卑下しているわけでもなく、悲劇性の方やリアルなる実体としての人物を表わすことに重きを置いているが、聖女ならぬ聖女を題材にしていること、クラナーハを観ながら、ナハナハナハナハとせんだみつお的に思ったのである。さて、クラナーハに関してだけど、なかなかエロかった。ティツィアーノに関しては、マニエリスムの本を読んだときはじめて知ったわけだけど、異端の異端かと思っていたら、当時は、かなりのヒップスターだったのだと知って驚く。なるほど、「ウルビーノのヴィーナス」など知ってる。しかし、500年もヨーロッパの人に愛され続けたと言われる「フローラ」は、あっ!これ見たことある!ってことはない初めて見る作品であった。ティツィアーノの作品って、当時フィレンツェかな?ベニスかな?キャピタリズム化するその社会に生まれる“モード”が如実に表わされているなと、もうスタイリッシュさに驚くのであった。社会に生まれる“モード”というのが、かなり新鮮に感じられた。おわり。
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