この作品から、オゾンは日本でも世界でも関心をもたれてきたのではないかな、と記憶する。
誰しもにとって日常とはそれぞれあるが、この主人公にとって、さりげない、気が付かなく過ぎ去る日常がある。『サマードレス』はそうしたシネマである。もうだいぶ前、最初に観たときは衝撃的だったと記憶するが、いま観ると、なんのことはない、よくある仏蘭西的に、夏のヴァカンスのシーズンに年上の女性と出会い恋をし、去るその女性に「ありがとう」を届ける、よくあるパターンにのっかったハナシのシネマである。主人公が見る、誰か分からない者も、その後のオゾンが描くような、(無意識的に)見られる欲望イコールあるがままのそのヒトの欲望、即ち、(アメリカン乃至西洋的なヒューマニズムではない)ヒューマニティである。夏の出会いと別れ、なにも2時間かけて描くこともなく、こうしたフツーの出来事なのである。されど、サマードレスは思い出として、夏にある。
この作品から、ゴンドリーは日本でも世界でも関心をもたれてきたのではないかな、と記憶する。
小さなことでも、或いは小さなことであるからこそ、頭のなかこびり付くことある。そうした些細なもの、ゴンドリーは、よく表わす。このPV、ヴョ−クを中心とした大きな流れのなかで誕生したのだけれど、ゴンドリーのその後をみると、彼のもの満載である。そして、オブセッションとありながらも、一方で、ネズミをケアするなど、タイニーなものに対する心遣いは、彼は満載に表わしている。タイニーなものは主人公や恋する相手のこゝろにあるものであり、ゴンドリーはそれをとても大事にしている。
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