『一三人の刺客』
そう言えば、七人の侍の大将も島田であった。伊勢谷友介は菊千代のような野性味ある野猿というよりは、神聖な存在として表される。三池にはこうした神性がよく表される。ところで、平幹二郎が主演の最初の大河ドラマは、お家騒動を扱ったものらしいが、お家騒動だけで一年間も視聴者を釘付けできるのかと思ったり、その当時はジャポン、ご時世的に内政に関心があったのかと思ったりもする。
お家騒動の江戸ダイナスティーのジャポン、Oh Yeah、本当の意味での“侍”を知らない若者たちが蔓延している。彼らは痛みを知らない。そうした時代に、島田たちは意地を通し、忠義の家老らと戦う。リアルを求める。無常観は無情である。情け容赦ない身体の流れ、炎につつまれ真っ二つ。身体にのみ表される心の変化。その揺れが舞う。“侍”の時代が終わるとき、島田の甥は愛する人のところに訪れるのか。あれは夜明けだったのだろうか。
『冷たい熱帯魚』
空想する主人公、想像はできない。村田は彼自身を最強と言いつつも、その空虚の穴は深く暗く、主人公がプラネタリウムで見る空想とは違いのないものなのかもしれない。社本は痛さを娘に、刺しながら説くが、痛さを知らないのは彼自身である。一方で、でんでんの言う、ちょっとだけ痛い、は笑いを誘うが、村田の心のぽっかりの空虚感を考えれば、けっこう深いものを感じもする。そして、ラストの主人公の姿にはやるせないものを見るが、彼がラスト見る先にあるものには、空虚と同時に、或る解放感も感じられるのであった。
ログインしてコメントを確認・投稿する