『リアリティのダンス』(La danza de la realidad:2013)
意識もイズムもマネーも真似も外のモノ。世界に違和感を持ちつつ生きつつ、彼は、常に外の者として語らしおん。暖かなヒューマンドラマの様相を持っていてもホドロフスキー、結びつきの夢ではなく、外から、その内面に在る外の意識を語っている。フェリーニ的な哀愁はそこにはない。
『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』と違い、哀しみがある。外の意識は不在を見つめている。彼自身が想像するマジックリアリズム。しかし、共有の夢もスピリチュアリティーもなくなっている、というわけではない。不在を埋めていく感覚がある。理知がある。それが人間性の暖かみを生む。反省は自身を批判するのではなく、優しく包み込んでいる。家族愛、共有できる愛は、そこに表されている。消し去るものなのだけではなく、怒りなのでもない。自身を共有している。
向き合うのではない。こゝろのポリフォニー、それはあの子のものなのでもなく父親のものでもないもの、それはホドロフスキー自身のポリフォニー。自身を共有している。喜びに充ちている。ノスタルジーではない場所に彼はいる。
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