その1
『潮騒』、ハッピーエンドでよかった。ジャポンはなぜかおセンチが好きだし、観ていると、なんだか悲恋ものになりそうな匂いプンプンでヒヤヒヤしながら観ていたけれど、ハッピーエンドでよかった。サユリストでもコマキストでもないけれど、小麦色肌のサユリは可愛かった。
その2
さてと、床屋にいって慎太郎刈りにでもしてくるか。太陽族とは葉山のぼんぼんを言うのであったのか。モータボートで疾走する津川雅彦は『潮騒』の荒海に飛び込む浜田光夫と同様に、ロゴスされない真っ直ぐなエモーション。 恋というよりは、己の内側から湧き上がるものが躍動を生むのであるが、春次も新治も愛へと向かっているラモーレ。石原裕次郎によって肉体化された春次の兄 夏久はしたいことはとにかくやってみる。それは正しい。「やりたいようにやるだけだ」「いちかばちか試すんだ」。しかし、今までのとこ読んだ、或いは観た太陽族ものは女性を拉致して大変なことをする。よろしくないことである。ニュースをみたせいか、したいことをしよるノースコリアのぼんぼんの顔が夏久とダブってきてしまった(あくまで、裕次郎の顔ではなく夏久の顔である)。慎太郎カットもなにかぼんぼんとダブる。いけないと思いつつも裕次郎の顔とダブるとは、この太陽のせいなのだろうか。暑い。春次と新治の愛へと向かうエモーション、そのロゴスとならないモノおもしろかった。
その3
床屋に入って椅子にドカーンと座るなり「慎太郎刈りにしてくれっ」と言っても、店主は刈り方を分かるのだろうか?聖子ちゃんカットよりも難しいかもしれない。ちなみにこれは、正式な聖子ちゃんカットではありません。
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