『愛と怒り』のゴダール編のワンショット、やや遠景にトリコロールが表されていた。
Capitalismをやや批判しつつもその世界に生きる人々の出来事をセカイとみなし慈愛/Nature表すスコセッシとリンチに対し、ゴダールとパゾリーニはそれぞれ当然に違ったWAYにおいて、Communismを敬い崇めるではなくとも憧憬とし、それは理想郷として負けたとも完全に言い切れないわけであるし、ゴダールはコレクティビズムに実践の場を求め、対し、ファシズムを嫌うパゾリーニは集団思想を嫌うだろうし、ベトナム批判しコカコーラも飲まないだろうし、炭酸ではないIndividualをレキシに翻弄される悲劇的な美として追い求め表しているように思われるなり。
と、突き詰めれば今のとこ曖昧な意味にしか表されない“自由”に、フと思うとこがある。
ところで、
赤い旅団が政治家を誘拐し身代金を要求したり耳を切り落とし送りつけたりした時代と比し、国家がテロリズムとなるこの時代、007のセカイを凌駕している。組織的にスペクターやショッカーなんかよりもショッキングである。しかし、やってることは下衆であること、時代はかわっても人というクリーチャーは変わらないものなのか。
註:『愛と怒り』はゴダールとパゾリーニが参加したオムニバス作品です。
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