『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(Bill Cunningham New York;2010) ビル・カニンガムはノーマン・ロックウェルのようなヒトだ。ノーマン・ロックウェルに会ったこともなければ、映像で彼を見たこともないのに、そう思えてしまう。勤勉でユーモア
『二郎は鮨の夢を見る』(Jiro Dreams of Sushi;2011) 修行は人のもつ個性をころしてしまうものなのでないかと思ったりするものの、これみていると、日本人のそれは、できるだけ素直に向かうためのもの、清さに近づくためのものなのかと考え変化してく
『ペルセポリス』(Persepolis;2007) アンゲロプロスは亡くなるとき故国になにを思ったのだろうか、と思ったことがある。ギリシャは現在に通じる危うき時期にすでに入っていた。『ペルセポリス』、90年代の始めの方が終盤に表されるが、キアロスタミが世
Smoke Gets in Your Eyes Sweet Jane/Rock and Roll Purple Haze
大島の自然と太陽が教えてくれた。間違っていたっ!石川優子と谷村有美の聴きすぎで、イイ子ちゃんぶってしまっていた。映画館で意識に顕れるもの、それは道徳の時間ではない。他者との憩いの場でもない(LOVEは大事である)。暗闇のなかヒカ
おはようございます。味噌汁 いっぱい たいらげましょう。 夢を味方に 涙色 おやすみなさい。夢を いっぱい たいらげましょう。
『気狂いピエロ』(Pierrot le Fou:1965) 我々は南仏を触覚する。“現実”という異郷の地に送られる。オープニングタイトルにアルファベットが順に著されたり冒頭に本屋で本を探すベベルが表わされるからといって、このテクストが小説に変わる新しい小説言
『ソドムの市』(Salò o le 120 giornate di Sodoma:1975) 我々は北伊を触覚する。“現実”という異郷の地に送られる。我々はソドムの市を視て聴き感じる。そこでの、ブルジョワジーが求める極限の美は恥辱を与えることであり、尊厳を超えたとこ
『アラビアンナイト』 ( Il Fiore delle mille e una notte:1974) ヌレディンとズムルードのモノガタリにアジズとアジザのハナシやその他のエピソードは組み入れられているのではない。眼差しはイストワールに”共有”されている。 まず、そういった
Barnyard Scuffel Shuffel Chenrezig Walking In The Moonlight
あきのうたです。秋はファッションの季節、食欲のシーズン。流行に流されながら、寂しさあじわいながら、イデオロギーにちゃち入れながら、がっつり好きなものを食べながら、大笑いしながら元気になりましょう♬ それがきっと芸術の秋なのだと想います
『たのしい知識』(Le Gai Savoir:1967)プラトンの洞窟には響かない”生の声”なのだろうか。エスタブリッシュシークエンスの暗い空間、その度々あらわされるそのグリッドに、映画的時間が堆積されるとき、ハリウッド的なものではないもの、例えばギドゥボ