◆『エブリバディ・ウォンツ・サム!!_世界はボクらの手の中に』 リンクレイター、ただのコメディではない。やはり只者ではない。同じようにハリウッドと他を股にかけるガスヴァンサントの陰なる空間に対して陽ってわけでなく、インディーズ出発者のなかで
◆『スパイダーマン:ホームカミング』 ★クリティックからも評価いいし今年の夏の興行成績は一番であったこともあるし、DCコミック寄りというよりはザック・スナイダー寄りもあって、私的には『ワンダーウーマン』を観たかったけれど、姪はこっちの方がど
『バーバー』 物言わぬ、というより、物事をそこまで言えないヒトはいる。存在しているようで存在できぬ、その事情、男はまわりからその存在が気付かれないままに生き、マクロに見ることができぬままミクロに生き、イメージを探し求めキャピタリズムに生き、
コーエンズ ★聳え立つ運命のペルソナは、苦難の権化として存在する。『赤ちゃん泥棒』のレオナルド・スモールス、『バートン・フィンク』のチャーリー、『ビッグ・リボウスキ』のビッグ・リボウスキ、『ノーカントリー』のアントン・シガー、に、その存在
コーエンズとタランティーノにおけるハードボイルドの試論 その1 フィルムノワールとハードボイルドとの違い、何だろうか?という以前に、フィルムノワールは映画を指すものであり、ハードボイルドはもっと文学よりの言葉のように思われる。フィ
『キル・ビル』久しぶりに観るけれどおもしろかった。説明的というか、叙述的なタランティーノ台詞も気にならず、テンポよい。愛憎の因果応報的な流れは、タランティーノのいつものストゥリーム。主人公は心のなかでキル・ビルを号令のように繰り返し叫び、デ
時間に現在が欠け、イマージュが生まれるとしたら、たとえば、総括はこうなのか、二階の他人とデビュー作品から他者は存在し、 HOUSE ハウスの主人公はラスト、他者に潜り込み、 つづく、瞳の中の訪問者、ふりむけば愛と、他者を想起させるタイトル、そ
『ヘイル、シーザー!』、誰にヘイルしてるのか、誰を崇めているのか? シーザーと同一化されているスターに対してであり、この作品では不可視の存在として表されるダリル・F・ザナック的人物に対してであり、そしてそれは、ハリウッドそのものに対して崇め敬
その1. http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960054030&owner_id=2566286 その2. http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960095182&owner_id=2566286 その3. http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960100811&owner_id=2566286 その4. http://mixi.jp/view_d
『ヘイル、シーザー!』 同じくチャニング・テイタムが出ているタランティーノは『ヘイトフル・エイト』と同程度の出来のセンス。コーエンズのテクストにおける深さをあまり感じられないが、いつものように人生の疲労感を漂わせる。フィルムノワールってよ
山田大林テクストを観すぎになてしまい、大林のなごり雪を観ていてももはや頭の中になにも入らなくなった。むしろ脳が印象を排除しようとしているかのようにも思えてくる。ノワールである。それはそれで危険なので、志向性を他に向かせなければならない。観す
ハッチャケながらも切なさ表す、そこには、過去が生きている現在としての映画の姿がある。 そうともさ、走馬灯、現代の情報垂れ流しのものとは違いあらば候。そうであれば、プロジェクションマッピングではないもの、例えば、陽の光にうつされ揺れる草木の影
『息子』 この作品ほとんどパーフェクトに思えてしまった。少なくとも、そうした力強さがある。この作品、人が気付かずにいるものへの眼差し、それをソッと映し出す。対象にあるものは無意識にあるものなのではなく、我々が日常で見て聞き感じるもの。これは
『あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん』 『さびしんぼう』が恋の執着への始まりが表されるのなら、この作品は恋の決着が表されるようにも感ずられるものである。この作品は尾道の連作の終結にはまさにそれだというものがあった。我々はずっと恋のハナシを視
ハナちゃんと言うことに驚いた。ハナは山田の先輩かと思っていたからだ。ハナが山田との距離をなくさせるためにそう呼ばせたのかもしれない。山田洋次は渥美さんと言うが、前田吟と倍賞千恵子の対談で、倍賞は渥美ちゃんと呼んでいたけど、普段の生活でそう言
◆『幸福』(アニエス・ヴァルダ) ★バルトが言うような、自然にあるがままに見せられる神話。そこに伝達されるメッセージがある。それは解釈をいらない。 ★2つの共存する世界が表される。シネマヴェリテが真実を表す。夫人を演じた婦人(註1)は、映像
『家族』 井川比佐志、とてもリアリティある顔している。時は70年代、デニスホッパーやコッポラのようにシネモービルを活用したニューシネマの様相でもいいはずなのだけれど、山田洋次にはロッセリーニや『揺れる大地』、或いはアントニオーニたるセンスへの
『北京的西瓜』 それぞれのキャラ、ときおりクロースショットがインサートされる。鏡に映るもたいまさこの顔、朝起きるときの彼女の顔、曾我蕭白は柳下鬼女にも似た怨念もち哀し顔にみえてしまう。しかしながらも、後半の彼女の顔に明るさ戻るるときになって
『息子』、かなり昔に観たとき、なんとも暗い世のハナシ、おじいちゃん、ラストはきっと雪のなかで死んじゃって、はかなくも幸せな幻想と出会ったのかな、という印象、というよりも、ラストはほとんど憶えていなくて、それまでの流れとちがって、いきなりシュ
『シェルブールの雨傘』久しぶりに観る。ロシュフォールに比べてシェルブール、哀しいハナシだったから一度きりでもういいやとなったと思っていたけれど、さにあらず。この全編、歌がある続けることにヘトヘトになっていたからなのだと、過去の記憶を甦らせ
なかなかヴァルダとリヴェットを見始めれないと思ったら、パソコン壊れ、そのうち、ジャームッシュとリンクレイターに関心もつ。けど、これらもまた観ようと思っても、なかなか始められない。インディーズといえば、アメリカでは昔は彼らであった。スラッカー
『母べえ』 檀れいですら眼中に入らなくさせるとは、吉永小百合の美しさ、向かうところ敵なしである。彼女の壮年になってからもの美しさ、いつも驚かされてきた。きっと毎日、風呂上りには左手を腰に当て、ドモホルンリンクルをゴク飲みしているのではないか
『女ざかり』 大量のグリッド、その後の岩井俊二などでもはや今は慣れてしまったけれど、かつてこの作品を観たときは、そのショットの数、カットがドンドコ変わりまくることにヘンな違和感あったし、ワイプなどの使用等にあまりにも大林的ポップの過剰を感じ
『水の旅人 侍KIDS』 ハリウッドをなにも意識していないといったら嘘になるような、久石譲によるジョンウィリアムス的なシンフォニー、されど映像的には、ハリウッドを追い抜け追い越せと躍起になっていること全く見せつけない大林マジック、とっても宣彦ペ
『たそがれ清兵衛』 日本人が忘れ去ったものが表される。それゆえ、現代日本人である私はこの作品のことがなにも分からないのである。、、、、、それを言っちゃおしまいよ。 田中泯がキャストされた意味合いは気合いもった剣術殺陣に表されられるのではなく
思えば、何気に劇場に入ったこの作品がきっかけとなり、山田洋次をちゃんと観よう&大林宣彦懐かし久しぶりに観ようと相成ったのである。『家族はつらいよ2』 バルトに傾倒しているからそう思ったのか、オープニングタイトルのキャストスタッフの名前の
熟女ファンは大喜びで観ているであろう『セシルのもくろみ』。「ストーリー」の愛読者の私も喜んで観ています。足の引っ張り合いのファッション界描いた沢尻のドラマや、ママさん社会で健闘する主人公のドラマのドロドロとちがって、スポ根的な爽やかさを感じ
『虹をつかむ男』 虹は映画であり、幸福であり、家族やいろんな人たちとのつながりが表される。虹は寅と私たちをつなげる橋ともなる。主人公は虹の橋を掛ける。ラストははぐらかされた気分であるが、リスペクトする故人のメモリアルであれば当然に必然とな
『異人たちとの夏』 ややローアングルの目の下にクマができた風間杜夫のショット、彼の高い尖った鼻を観たとき、これは大林のノスフェラトゥなんだと理解できた。遥かノスタルジー、慈しまれる者とは何か、我々は写し移し取られる魂のなかで問いかけられる。