『ナイトクローラー』 メディア内ゲバもの的には『スポットライト 世紀のスクープ』よりもオモシロかった。アメリカ映画伝統的にこんなことしちゃいけないといった“ヒューマニズム”(そしてキャプラ的“ポピュリズム”)でなく“ジャーナリズム”である。
観てないと思っていたら観ていたダイハード4.成り行きのなかでも絆を守るのがヒーロー。愚痴りながらアクションするでなく、誰かがやらねば俺がやると言うのは、かつてのマクレーンらしくはなかったけれど、自己パロディに陥るでなく、作品ごとに時代にあっ
大牟田ふじ、とても素敵な空間だった。凄すぎる。ジムオルークさん、日本語がとても堪能でした。You are my legend(という日本語もおかしいが)と言うと、いえいえ、そんなそんなと返してきて、日本人的な謙虚さにビックリした。ジムダンカンさんは今回初め
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のゼア、ゼアリズサムシングのそれゆえに、その存在、不特定の〜が在る、それはやがてあるものであろうがそうでなかろうが、映画の時空間に現前するイマージュには、絆や契り、或いは、パンと葡萄酒の赤いもの、血であるもの
ポール・トーマス・アンダーソンとトッド・ヘインズ、とてもアメリカしている。アメリカ映画、他にもいろいろ観てみたい。ララランドにムーンライトにスウィート17モンスター。他には、ジョンウィックにマネーショートにナイトクローラーにハクソーリッジ。チ
ゼアウィルビーブラッド、見入っちゃう。かつて観たときは?だったけれど、かつての感想よりは今回はよいが、アメリカ映画の伝統の系譜的だけど、エリッヒ・フォン・シュトロハイムもスコセッシももう既にやってるようなものだと今回も思ったけれど、絵的には
ロミオ+ジュリエット久しぶりに観るとオモシロかった。かつては、冒頭のメディアの入れ方、過剰な報道やゴシップショーといった流行りだったものをモード的に取り入れている感覚が陳腐に思えたし、MTV的な映像の羅列が腰が据わってない軽いものに感じたし
以前PTAのこの作品を観るまえはアダムサンドラ―映画として吸収されるんじゃないかと心配したり、ブギーナイツやマグノリアのアルトマン的な群像劇、スコセッシ的なカメラワークの印象が強かったから、この作品を観たときの印象はトンチンカンで面食らった
PTAにトッドソロンズ、それにバズラーマン、まずはラブストーリー、というかメロドラマというか、そんなのから。パンチドランクラブに、エデンより彼方に、そしてムーランルージュ。『ムーラン・ルージュ』 かつて観たときはたしか寝た。なんの変哲もな
『キャロル』 愛らしくも、クローゼットの中から出ていけるような力強さがあるエンディングである。ヨーロッパ映画が描くような共約不可能性を求め合うことへの希求が表されるのではなく、やはりアメリカ映画らしい力強さがある。そしてアメリカ映画らしい
『SAFE』はヨカッタけれどそれ以降オモシロいながらもいまひとつピンとこなかったけれど、ドパーミンがワインと化せるような『キャロル』であった。かなりヨカッタな。トッド・ヘインズと、オモシロいけどどれも長いなと思いつつゼア・ウィル・ビー・ブラッド
私が背中を床につけ、地団駄踏んで頼んだわけではない。あくまで姪との共同声明のもとに行ったのである。『あさひなぐ』おもしろかった。乃木坂工事中を観なかったら、この作品のことを知らなかったのだと思う。ロケ地など考察しながら観ると製作費安く仕上が
ファレリー兄弟やベンスティラーのだったらいいけれど、ジャックブラックものと聴くと、リンクレイターとしたらハリウッドのど真ん中でつくったもののはずだから避けていたけれど、観てみると『スクール・オブ・ロック』、オモシロかった♪ ベタな
『スキャナー・ダークリー』 いわくありげなキャストたち、即ち、ダウニー・Jr、ウディ・ハレルソン、そしてウィノナ・ライダー、そんでもってヘンな作品は必ず出演をオッケーしその実力を発揮、興行成績を上り詰めらせるキアヌってのがオモシロし。ウィノナ
『パターソン』 フレデリック・エルムスがDPなのか。色彩がギドギドなイメージするから、乾いたジャームッシュとは違和感あるのではと思えてしまうけれど、そんなことなく、とてもフィットするイマージュでした。ワイルドアットの頃のリンチとパリステキサ
『マップ・トゥ・ザ・スターズ』 ヒッチコックがオスカーとはほとんど無縁だったように、クローネンバーグもまたリンチと同じように、グロテスクなまでに縁がないけれど、そんなにオレを無視するなと言わんばかりに、ではなく、ハリウッドを射程にして皮肉も
『ビフォア・サンセット』 ラストのニーナ・シモンを真似しながら踊る、愛くるしいジュリー・デルピーにアメイジングする。写真性として、そのシネマに在るもの、過ぎ去りながらも今此処にある時間あらわされゆる。モンタージュによる時間の切り取りと配置
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』 ★恋をするとまわりの光景が変わる。殺風景なものが明るい色彩を帯びる風景へと変わってゆく。ミネリみたいにミュージカル的色彩に変わるというではなく、あるがままの光景はあるがままに、そこにありながらも、変
『ゴースト・ドッグ』 ★ 空をマッシグラに飛ぶ鳩によって、此処ではない何処かであるエキゾティズムにいざなわれるというよりも、その鳩と空のイマージュそのものが或るエキゾティズムとしての精神世界あらわされる。 ★ かつて観たときはポール・シュレー
『5時から7時までのクレオ』 モードの街を闊歩するクレオを追いながらも、モーションにエモーションを浮かび上がらせる。フォトグラファーからキャリアを始めたヴァルダ、彼女自身が言うように制作において文学を意識していたとしても、やはり写し取り配
本日は母と菅原洋一のショーに行ってきたけれど、帰りのタクシー、ドライヴァーの方は菅原洋一が84歳でやってるのビックリしていたけれど、細胞年齢が30歳若い母親を普段見ているので、そんなに驚かなかったけれど、やはり、あの歌唱力はスゴイな。数年前も母
ジョンセイルズはここ最近日本では公開されていないのだろうか? 彼の作品に表わされる照明、というか自然光なのかな、西海岸的な光が好きではなく、また当時は、アメリカの政治的なものもアメリカが抱えるイシューも、いまひとつ分からなかったので、なん
『デッドマン』と『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』、同じ製作年なのか。たしかに、同じ時期に劇場で観た記憶がある。どちらも、眠気がおそい、スクリーンに映る人物や事物の輪郭にズレが起こり、2Dからやがて3Dになっていった記憶がある。『デッ
日曜美術館に録りためている「クラナーハ」「ティツィアーノ」を、展覧会はもうとっくにクロージングなってかなり経った今頃になってようやく観る。クラナーハの作品も素晴らしかったけれど、クラナーハの「ヴィーナス」などが語られるとき、ヨーロッパでは
◆『美女と野獣』 昼夜二元性や愛は人を美しくも醜くもさせるというテーマが陰陽道的に、或いは倫理的に表わされるが、それもまたリヴェットやドゥミに影響を与えたであろう。はうえゔぁー、そうしたテーマよりも、シネマというテクニ
◆『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』 『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』において、スポーツマンシップにのっとり正々堂々と闘うということは、協調性ではなく、野生であるということを、あのムキムキマッチョのチェロキーズから教えてもらったが
リンクレイターは人を上手く描けるようになった、或いは、深いドラマを描けるようになった、というよりも、彼のそもそもの人物たちの表層を捉えるような観察眼的カメラアイが、人生というドラマを捉えるものに変化していったのであろう、と思われるのである