男性にも乳房がある。なぜあるのか分からないが乳房がある。母性型社会が魂あるこの世界の事実であり、男性は女性から派生したミュータントなのでしかない。と松田優作と田中裕子の乳繰り合う、、もとい、契りを交わすシーンを観て思った。前にいる松田を後ろ
『ワイルド・スピード ICE BREAK』このシリーズ、8作目となるが、はじめて観る。ヴィン・ディーゼル、ドウェイン・ジョンソン、ジェイソン・ステイサムの花の肉の塊りトリオが暴れ舞う作品だとは知らなかった。綺麗だけれど異様なシャーリーズ・セロンが印象
『祇園囃子』ミゾグチ的にはやはりこうしたテーマに本領が発揮させるのだろう。悲しいではなく哀しい。色気がある。粋がある。『拝啓天皇陛下様』傑作だった。最終盤のブーンブーンという車の走る音、この作品の後の、戦後を描いた『拝啓総理大臣様』において
松坂慶子の艶姿、未だにその姿見せるとは凄いな、と思ったら、まだ46歳の頃であり、なるほど、でも吉永小百合に比すれば女優艷盛りのときにちょっと縄文になってるな、なるほど、麻生久美子のティーンエイジ特有の無表情さが素直さ表している感は豚と軍艦の吉
デスティニーもキャタビラーもよかった。『DESTINY 鎌倉ものがたり』、愛は大事なものであること表される。So what? それはそうだろう、だからどうした?となるも、ビッグ予算のこの作品、様々なる動きに見入り、愛の讃歌にたやすく導かれる。これを観た後だ
『さらば夏の光』ナラタージュされる男女の会話、愛を語り合うときにはフィジカリー邪魔になると思われるフィロソフィカルなワード、とてもアランレネしている。記憶もまた表されながらも、オカマリとのキジュ―の女シリーズにおける特徴とは、見知らぬオトコ
『悪党』ノリにノッてる近代映画協会の頃だからだろうか、小沢栄太郎、木村功、岸サンドウーマン今日子が出演しており、いやらしい話だが、キャストにはお金がかかっているだろう、おまけに時代劇だし、ズラや衣装や建物にも金がかかってるだろうと思わせるも
『レディ・プレイヤー1』面白かった。昭和からいきなりヴァーチャルモダンに引き戻されたかの感覚。アバターもゲーム世界もあまりわからないけれど、さすがスピルバーグ、万人にわかりやすく描いている。私の見地としての、ジョンフォードとフランクキャプラ
『鬼婆』 コンビニの本棚に並んである写真週刊誌、通り過ぎるとき、その表紙をなにげにも眼に焼き付けるように飛び込んできてグラビアと題字にウォーッと驚かされるように、数多あるホームドラマでお母さん役していた乙羽信子がヌードになっていることに驚愕
福岡市はあまり台風にぶつからなかったのだが、今回はなんだか嵐の前の静けさが漂っていて怖いな。元寇の時の嵐って、こういったものだったのか。絶筆になるかもしれないから書いておこう。しかし、昭和に関心がなくなりつつあるから、あまり書けない。『ある
『どっこい生きてる』 俯瞰からの民衆の図はやはりデシーカ、ネオレアリズモの波は世界中に波及していたから、これはこれでおもしろい。特需景気によって民衆のしわ寄せが、行き場のないセンスを起こすこと、当時におけるリアルであり、このことは現在におい
『千年の愉楽』 まあだだよもぬるい水も遺作の覚悟があるかのような描き方であったけれど、いつのまにか亡くなっている主人公の安らかな死に顔をみるとワカマツもこれが遺作となると覚悟があったのではないか、と見紛うばかりである。旦那に話していく男たち
『水のないプール』電車の音、切符切りのパンチの音、と都市のサウンドだけではなく、インダストリアル サウンドには雨の音、風の音もまた街にある音としてある。現代のネイチャーは、自然音として都会を包み込む。かつて観たときは死姦のようなことをしてな
『赤い橋の下のぬるい水』クロサワのまあだだよにもラスト、虹が表されていたと思うけれど、イマヘイのこの遺作にもまた虹がドリーミーに表される。映画というハレの時空間、私たちは非日常を知る。非常民である私たちは壺に入った宝物を、主人公とともに追い
『全身小説家』全身全霊にフィクション、それがアーティストのリアルである。事実ではなく真実、それが生きる姿に課せられるものである。原一男という第三者に客観的考察を委ねることにより、フィクションというリアルのパースペクティヴをはっきりと現わさん
『野良犬』『酔いどれ天使』あまりにも極論的にワルを切り取るな、と思っていたら、木村功に同情するミフネを志村僑がたしなめるところがあり、やはりそうなのかとなる。アムビギュイティが表されながらも、やはりワルはワルだと言い切ってしまうところはクロ
『酔いどれ天使』ミフネの名を挙げた作品であるが、ツキに見放された男の孤独感という印象が強く、運命の翻弄され的なものも誰かによって恣意的にされた観もなく彼の悲劇性にあまり同一化できずとなる。また、のちに出てくる任侠ものや実録ものその他もろもろ
『情炎』 コンポジションなど絵的にはみづうみよりも面白かったが、ハナシ的には愛のなんとか劇場みたいな、昭和の4、50年代に放送されていたような昼メロなものでちょいと陳腐。オカマリは、さっぱり系ではなくメンド臭い女、でもそれがオンナという焔なの
『人間』 乙羽信子の野性的且つ胎児的プリミティフのエロスだけではなく、船員全員に、新藤兼人が当時に掲げる開放的な性の姿が表されている。殿山泰司の家長ぶり、ミラクルを信じる。『三文役者』で彼が言う佐藤ケーと山本ケー、そのふたりもまたギラギラし
『ローガン・ラッキー』なによりも、出演していることを知らなかったので、ケイティ・ホームズ久しぶりに見て驚いた。ミシェル・ウィリアムズはこれまで時折いろんな作品で見かけるから、その変化に気付かずにいるが、久しぶりに会うからかケイティ、とても変
『恐怖女子高校 女暴力教室』まさに恐怖であった。教師を油断させて闇討ちのシーン、すごかった。演出的に鈴木則文、まさにカッコよいと思えるのである。ハナシ的ストラクチャーは任侠ものによくある感じの、主人公が宿命のライバルと宿命的に出会い、謎のそ
『女のみづうみ』イメージというものが浮かび上がる。劇中に表される太陽族映画は、それを深める。そしてエンディングも。おだまりっ!オカマリよっ、おほほほほほほ。綺麗と言わしめられる岡田茉莉子、彼女のスティルを見ても、なぜか今までエロティックなも
『彼女と彼』ボンソワール、ムッシューとマドモアゼル。、、、さっそく覚えたてのフランス語を使ってみました。『嵐を呼ぶ十八人』は喜重なのに、お仏蘭西ってより、エリアカザンを思い出させる雰囲気だったけれど、『彼女と彼』もまた、武満徹のここでの音楽
整理していたら突然ロブグリエが出てきたのでビックリ。買っていたのか、、。万引きした記憶はない。放置プレイ状態だったので、これらにも気にかけなければ、となる。明日から、常盤貴子目的で録画していた旅するフランス語、不埒な気持ちを捨て勉学のため真
『日本脱出』 物欲、怒り、焦燥、性欲動、数多なコンシャスネスが交錯しながらも、クールな感覚で整理されスタイリッシュする。裏切りとファムファタール、拳銃とサスペンスといったフィルムノワールのフォルムに、我々が身近に持ち合わせているネイチャーが