我々がインテリジェントデザインにモノ化している時代、偉大なる知性は、我々を救済するメシアとして求められている。ノーランとアロノフスキーが描くメシアは、スピルバーグとイーストウッドに表される選ばれし者とは違う。そこには父性的存在ないしリーダー
スコセッシアレンアルトマンにおいてその時代、見えないながらも見つけるべき方向性が希求されていた。しかしながら現在において、我々はメイヤスーが指し示すように、マテリアルワールドで相関されるモノでしかなくなっている。 即物と化した我々がい
アレンとアルトマンは神を信じているかいないかは分からないし、それは別にして、テクストにおいてヒューマンを写し取ることのみを試みていると思うが、スコセッシとリンチは贖罪や恩恵や啓示というロゴスが彼らのテクストにはチラチラと、どころではないぐら
自由と疎外のマテリアルワールド、そしてその描かれる時代に照らし合わされ保守化している我々の時代の現状が指し示されるが、PTAとへインズにはかつての時代に対するノスタルジーもまた表されているといえる。いわば、今はいないような昔の気質を持ち合わせ
2000年から2017年のフィルムコメント誌がその年のベスト10などに挙げたアメリカ映画作品をチェックする。雑誌映画芸術はキネマ旬報が選んだその年のベスト10をワースト10に選ぶけれど、フィルムコメント誌はそこまで徹底してアンチにはならないけれど、たしか
なんだかノーラン、メメントでの衝撃度がどんどん減ってきて惜しいような気もするが、ニューエイジを描く作家として頑張ってもらおうとは思う。アロノフスキー、堕ちるところまで堕ちろ系が多いように思っていたので敬遠していたけど、彼が描くヒューマニティ
ソダーバーグの新作、気になる。ところでダンケルク、まさに007を創ったのはチャーチルだと言わんばかりに、イギリスを拝んでいた。ノーランは007が好きらしいから、サムメンデスにもっていかれて怒ってるやもしれぬけれど、ノーランがボンドを描いたらきっと
なんでもそうだけれど、祭壇画的にしろバス停の広告的にしろ、動く絵とその場に起きるサウンド、或いは静物画の迫力、 ヴァイオーラとウォールはやはり、それなりに、或る空間で鑑賞した方がよい。
Bill Viola "Five Angels for The Millennium - Ascending Angel'' Jeff Wall "A Sudden Gust of Wind (after Hokusai)" cameras are keepers of the souls
90年代は、バタイユの憤りとクリステヴァの哀しみが合わさったかのようなエモーションとしての痛み系が差延として拡がっていった。遡り、60年代に匿名的な誰かがマイジェネレーションを冒涜的にシンシアリーに歌い、ブライアンジョーンズの死後ストーンズはサ
WOW Lotus Flowerベック のオディレイは好きで愛聴盤だけど、レディオヘッドのOKコンピューターは買ったはいいものの、聴くと「暗ッ」となり、2度ほどしか聴かず棚のお飾りに
ビル・ヴィオラ ”Tristan and Isolde”(2005) ジェフ・ウォール ”BAND & CROWD”(2011)