長らく観ずにいたからか、今回の作品、色眼鏡つけずに観れたのだろうか。面白かったし、唸った黒沢キヨピー。ラストの長澤、愛の概念の喪失による悲劇性なのだろうか、それとも、この世界の愛の回復を待っているのか。それとも、愛そのものがこの作品に表され
ハーイ、ボブ、とか、ヘイ、ファッツアップ、アレックスとか、義理の娘が義理のパパに向かってアメリカだったら、バディみたいな感覚でこんな感じでの、わだかまりなく会話が始まるのだろうけれど、日本だったら、ハーイ、拓三さん、とか、ファッツアップ、吉
『ホワイトリリー』、相手も自分も束縛する地縛霊のような、中田秀夫のような、コワーい話。彼がいつも表すように、彼岸の霊もこちら側此岸の業も、人間がそのようなものであること語らしおん。次に言うセリフがスラスラ浮かんでくること、或る出来上がった環
君がいるだけで Missing月9で決まったから、5分でできましたよ、と嘘ぶいてるけど、そんな曲ではないと思うな。でも、石井竜也、ホストのようないでたちながらもけっこう素直なヒトだと思ってい
無関心という壁もまた、是枝らしく、イシューされる。『空気人形』、喫茶メイドの位相でもダッチワイフの位相でもなく、心の位相が表される。スプラッシュのダリルハンナでもスピルバーグのA.I.でもなく、ただただ愛が表される。生命を持つ他者たるモノ。Happ
白痴美ではなく無知美である。竹内結子の方ではなく、妻夫木の方である。無知による清きラブ。幻に魅せられ、象徴に抗い、純愛を全うする。『春の雪』がもしティピカルにミシマさま的なのなら、行定も概してそうである。窪塚や森山や永瀬や林遣都や伊勢谷など
シネラの中国映画特集で観る。『古井戸』やはりおもしろかったな。農村の生活を活き活きと捉える、といっても、映画的世界でのそれであるが、民俗学的ドキュメンタリーと創作的フィクションの結び目、そうした感覚で、美としてのセンス表され素敵でした。中国
『ウルトラミラクルラブストーリー』 Lの時は認識度が低かったからだろうか、とてもナチュラルになりきっていたようなに思える松ケンだったけれど、この作品では、どですかでんの頭師佳孝ほどナチュラルではなく、せいぜいレインマンのホフマンなアンナチュ
この2冊を買う。最近の邦画の傾向をメディアエコロジカルに分析したいな、と思う。「吉岡里帆と広瀬すずがウケるワケ」と言う本を書きたいが、タイトルは決まったものの、このテーマとするところを紐解くには、膨大な量の朝の連続テレビ小説、多分最初の「娘
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』、いまひとつピンとこなかったけれど、あとで考えると、きっとラブと創作を一生懸命しているヒトは、ラストで妻夫木が泣くシーンにきっと泣けてくるのかなと思えて、ラブも創作ももっとちゃんとや
『ワンダーウーマン』 ジャスティス・リーグでのダイアナの方がヒトの気持ちを理解できる感じでよかったがワンダーウーマン、まだ人間の世界に来てから日が浅いのか、不器用ながらも、やがて愛を貫いていくところ表されてきて、パティ・ジェンキンスはモン
オモくはなかった。『ふがいない僕は空を見た』、力作だけれど、なにかウェルメイドな感覚。このヒトのは『百万円と苦虫女』にしても『赤い文化住宅の初子』にしても、なにか辛気臭さを感じる。辛気臭さは決してネガティヴな感覚のそれではない。ライトである
タナダユキ的辛気臭さは、ここではどう発揮されるのだろうか。ジャーマン+雨はとことんまでのファンタジックな狂われしもの、表されていたように記憶するが、これもファンタジックに見せながらもとことんまでのそれ表されるのか。ジャーマン+雨より異常で
時間的には『ふがいない僕は空を見た』と『ワンダーウーマン』だけしか観れそうにないから、こちらは観ずに返すだろうと思っていた『ロマンス』と『麦子さんと』を先に観ることになる。どちらも90分ぐらいの作品だから続けて観る。その時間の長さがゆえ、『海
ミンリャンとカーウァイのボックスを観ようとしていきなり脳味噌が邦画へと、それもベタに売れている映画作家のテクストへとパラダイムシフトしてしまったけれど、対で観るのをついついしちゃうけど、今度は女性監督のをみて観ようと『ふがいない僕は空を見た
ばしゃ馬さんとビッグマウス 深さないけど純喫茶磯辺も麦子さんともヨカッタ♪ これはどないやろ? 俳優 亀岡拓次 明るい殺伐感、なんか東京っぽくてスキ
意識をしているというほどでもないだろうけれど、それに、作風も世界観も違うし、でも根底に通底するもの是枝と行定のテクストにはあるのかと思ったりするけれど、『海よりもまだ深く』には『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』にあったもの、例え