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2008年07月30日00:21

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「舟越桂 夏の邸宅」展

事前の日記に書いたように、7/26(土)、東京都庭園美術館で行われている「舟越桂 夏の邸宅」展に行く。副題は「アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画」。
ドレスコード割引とやら、木で作られたものを身に着けていくと入場料を値引きしてくれるというので、家で妻のアクセサリーケースを眺め、妻の名を彫ったブローチをジーンズにピンで留めて出掛けていった。チケット売り場でドレスコード割引を申し出る人は、意外に、私の前には1人もいなかった。ブローチを窓口のおばちゃんに見せて、200円割り引いてもらう。得した気持。

入場時間が12時半。2時から本人の記念講演があるので、まずは入口脇のカフェで昼食。1時入館。
1時半ホール開場という事なので、作品を観る前にどんな様子か見に行ってみる。するともう50人は越すと思われる人の列。定員は250人、先着順。それならば、と、もうこのまま列に並ぶ事とする。

講演は、当館副館長の塩田純一と対話形式で、パワーポイントで過去の作品の写真を映し出しながら。
塩田はボソボソで言語不明瞭だが、舟越は、言葉を選びながらゆっくりと明確な声で話してくれる、とても判り易い。

舟越からは、造形芸術に直接携わる人の常だろうか、”脳裏に立ち上がるイメージ”、という趣旨の言葉が頻繁に発せられる。
その時は意味は判らない事が多い、でも、そのイメージを大事にして筆を走らせデッサンし、ドローイングする。鉛筆を何度も何度も動かすうちに、造形が定まってくる。そして、それを木に掘り付ける。
3次元のイメージを一度2次元にし、そしてまた3次元にする。ドローイングと木彫の間の行き来、今回の展覧会の意味の半分が判る気がしてくる。

舟越の口から何度も出る言葉に、もうひとつ”動物性”というものがあった。”人間の中にある動物性”等という使い方をする。”獣性”という言葉は、人が持つ動物的な特性、特に肉体的欲望を意味してよく使われるが、それとは違った印象である。
彼の”スフィンクス”の名を持つ作品群。スフィンクスは元々人間と動物(よく目にするのは獅子)の混身の伝説上の生き物だが、その彫像の長い首、あれも動物性の顕れなのだという事が判る。そして、長く垂れた耳。大理石の眼の色。豹やオカピ等という動物の名も彼の口から出る。
長い首は、動物が遠くを注意深く見ている様から来ているらしい。いや、遠くを見つめる為には長い首が必要だ、そう言った方が、彼の作品理解の足しになるだろうか。

スフィンクスのシリーズに、『森に浮くスフィンクス』(2006)という作品がある。4本のカーブした雑木が、スフィンクスの胸の下辺りを支え、脚の代わりをし、1段高い場所にそれを上げている。そして両性具有の肉体の上の首は長く、一層の高みから彼は世界を見渡している。世界には愚かしい人間の営みが繰り返されている。
この”高さ”は、動物から出発していながら、いつか宗教的な意味をも孕むようになる。雑木の象徴する森、地表から、言わば”浮いている”状態。
「浮くという事は、祈りのイメージにつながっている・・・。祈りには、この地上から少しでも解き放たれようとする意味がある」。これは、本人の書『スフィンクスが語り出す時』に書き留められた言葉である。
彼のスフィンクスを観て湧き上がる、孤独、静けさ、といった精神性、これらは、こんな背景から滲み出るものなのだろう。
彼のプロとしての最初の受注作品が函館トラピスト修道院の『聖母子』である事は象徴的であるし、幼少時の家庭における宗教環境も、今日の彼の作品に影響を与えていない訳はない。

さて、彼の当初の具象彫刻も、スフィンクスも、その表情は、一見感情が押し殺されているように見えるものが多いが、今回初めて観た『戦争をみるスフィンクス�供�(2006)の表情には、驚かされた。
その悲哀と苦悶の直接的な表情は、心を鷲掴みにするようで、しばらく私はその前で動けなくなった。
タイトルも詩的でシンボリックないつものスタイルでなく、極めて直接的だ。
その悲しみの視線の先にあるものは、愚かに繰り返される人間の争いである。この表情は、無言ではあるが、実に雄弁に人間の愚かさを語っている。
気付くと、いつの間にか、”人間性”と”動物性”は、通常使われる語義が逆転されている。驚きを禁じ得ない。

両性具有の意味については、今年7/12、ヘンリー・ダーガーに関する日記で少し触れた。→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=866717973&owner_id=3341406
孤独や不完全、弱さに対するアンチとしての意味を、そこで私は取り挙げたが、舟越の彫刻を観ても、基本的な想いは変わらなかった。
ヘルマフロディティスムは、孤独を癒し、不完全を修復しようとする深層心理の顕現だと思う。
ここでは、それについて多く語らないが、舟越の『雪の上の影』(2002)、1つの胴で抱き合う2つの女の頸、これも孤独に対する同じ心理の発露のように思える。

講演での彼の発言と、作品鑑賞の個人的な感想が、ない交ぜになって読みにくい文章になってしまった。

2008年の最新作『見晴らし台のスフィンクス』『私の中の緑の湖』が観られるのも舟越ファンには嬉しいし、旧朝香宮邸のアール・デコ空間の中で彼の作品の存在感にうっとりとさせられた事を、最後に書き加えておく。
薄暗い書庫の『夏のシャワー』、バスルームに射す逆光の中の『言葉をつかむ手』には声を失った。
 
写真は1が『森に浮くスフィンクス』、2が『雪の上の影』、3が『言葉をつかむ手』である。
 
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