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2026年06月30日19:00

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講座「浜名区の古墳文化」~浜松市博物館館長 鈴木一有 (加筆)

6/26(金)、地元の「みをつくし文化センター」で浜松市博物館館長 鈴木一有(かずなお)による歴史講座があった。
 タイトル「浜名区の古墳文化~郷ヶ平6号墳の調査成果を中心に」
 時間 14:00~15:30
 定員 40名(抽選にて)

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翌6/27、静岡県に台風8号が最接近するとの予報があり、注意報が出ている地域もあったため、講座は時間を30分短縮して行われた。

〈アジェンダ〉
1. はじめに~古墳時代概説
2. 旧引佐郡(現浜松市浜名区)の古墳について
3. 郷ヶ平6号墳の発掘調査
4. 埴輪群像が語るもの
5. まとめ~引佐郡域の古墳推移の意義

鈴木一有は4,5を簡略化して話を進めた。

タイトルは2024年の行政区分再編でできた「浜名区」となっているが、旧の言い方にすると引佐郡及び都田町周辺。

1. はじめに~古墳時代概説

・日本は国家形成期の社会
西暦で言うと250~600年頃の時代。(弥生時代と飛鳥時代の間。)
当時の日本の推定人口は400万~500万人。
この時期、古墳構築と国家統合は一体化して社会は進展していく。

中国は三国時代=柔然,北魏,宋
朝鮮は三韓国時代=高句麗,新羅,百済…敢て加えれば伽耶(小国群。昔はその一部を任那と言った。)

・全国に共通した墓制
前方後円墳の構築。
全国に古墳は16万基存在する。(現代のコンビニ店数より多い!)
内、5,000基が前方後円墳。総数の3%に過ぎない。意外に少ないが、年に10~20基造られていった。
 最大;大仙陵(だいせんりょう)古墳、旧称 仁徳天皇陵。墳丘長480m。
浜松市内には20基ある。
 最大;光明山古墳、墳丘長83m。

…古墳の大きさは王・権力者の力と相似関係にある。
分布・所在から、有力者同士の結びつきが想像される。

2. 旧引佐郡域と都田町周辺(現浜松市浜名区)の古墳について
古墳分布と奈良時代の地域単位地図
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・旧引佐郡は4つの「郷(ごう)」で構成されていた。
1郷=大家族50戸程度=約1,000人
引佐郡全4郷=人口約4,000人

 渭伊(いい)郷;現引佐町井伊谷…4世紀頃の生成・発展
 伊福郷;現細江町気賀…5世紀
 刑部(おさかべ)郷;現細江町中川…5~6世紀
 京田(みやこだ)郷;現都田町…6世紀

…各郷は都田水系(都田川,井伊谷川)に連なる小盆地に生成された。
それぞれに特徴的な古墳(首長墓)がある。

8世紀には伊福と刑部の境界付近に引佐群家が設置された。

都田川流域における首長墓の、時代と地域別推移図
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以下、各古墳の特徴、その概略を記す。

・北岡大塚古墳(浜松市浜名区引佐町井伊谷)
下は同古墳測量図。
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墳長50mの前方後方墳。3世紀末~4世紀前半頃に構築された引佐郡域最古の首長墓。
井伊谷盆地を望む丘陵上に位置し、立地環境は次世代の馬場平古墳と共通する。

過去のレポート参照。
「引佐散策~その2、北岡大塚古墳と実相寺」(2020.2.15記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974673205&owner_id=3341406&org_id=1974664254&from=neighbor_next
「北岡大塚古墳、その規模についての困惑 (改)」(2020.2.21記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974741933&owner_id=3341406&from=list_diary_search

・馬場平古墳(現浜松市浜名区引佐町井伊谷)
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墳長48mの前方後円墳。4世紀後半の構築。
後円部の中心に木棺を粘土で厚く被覆した構造の「粘土槨」が発見された。
埋葬施設からは鏡、玉類、儀礼用銅鏃などが出土。(何れも下の写真参。)
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出土品から、被葬者は司祭者であったと推察される。

・狐塚古墳(現浜松市浜名区細江町老ヶ谷)
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1辺22mの方墳。5世紀前半の構築。
引佐郡域で初めて葺石と埴輪が見つかった古墳。副葬品として、長方板革綴短甲(ちょうほうばんかわとじたんこう)=鉄板を革紐で綴じて作った鉄鎧。
埴輪の写真の中で鳥が羽を広げたような特殊な形をしたものは「蓋(きぬがさ)をかたどった埴輪」。「蓋(きぬがさ)」とは高貴な人物のみが使用を許された日傘だとの事。

4世紀の古墳被葬者は司祭者的要素が強いが、5世紀の古墳被葬者は武人要素が強く見出せる。
埴輪の製作技法は近畿地方中枢部の王陵(ヤマト王権)との関係があると窺える。

・陣座ヶ谷古墳(現浜松市浜名区細江町中川)
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墳長55mの前方後円墳。5世紀後半の構築。
墳丘からは刑部郷(細江町中川)の平野部が一望できる。
立った状態で埴輪が出土。埋葬施設からは刀、鏡が発見された。

レポート参照。
「郷ヶ平古墳、陣座ヶ谷古墳、火穴古墳 私的見学会」(2018.10.28記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968937798&owner_id=3341406&from=list_diary_search

3.郷ヶ平6号墳の発掘調査

・郷ヶ平古墳群(現浜松市浜名区都田町)
本古墳も採りあげられているので、併せて上のリンクを参照頂きたい。

郷ヶ平古墳群の、時代と諸要素の構造図、及び現地マップ
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3号墳(22m,5世紀後半)、6号墳(23m,6世紀初頭)、4号墳(26m,6世紀中頃)3基、相次いで築造された前方後円墳と、その他(1・5・7・8号墳)円墳で構築される。
前方後円墳からは特徴のある埴輪が多数出土した。

・郷ヶ平3号墳
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埋葬施設は既に私施設の建設により破壊されていたが、周溝からは円筒埴輪と形象埴輪(馬,人など)が大量出土。
形象埴輪は前方部南側から集中して発見された。埴輪が個別に立っていた位置を特定できる。
写真は馬型埴輪と馬を曳いている男の埴輪。組み合わせの状態で発掘・公表されるのは大変珍しい。

・郷ヶ平6号墳
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6世紀初頭に構築された小首長の墓。
前方部を中心にした数度の発掘から周溝が確認され、埴輪が多数出土した。
墳丘は二段築盛と考えられ、前方部東側の平らな部分に形象埴輪が集中して立っていた。
平らな部分の外縁に円筒埴輪と朝顔形埴輪、その内側に形象埴輪。形象埴輪は前から猪,鹿,男性,馬が順に並んでいた。これは狩猟の祭祀の様子を表現したのではないか。そして、人物の内側には鳥(鶏と水鳥)も。
人物埴輪の写真の中で一番右の半身の者は「𤭯(はそう)を持つ女子(巫女)埴輪」。
「𤭯(はそう)」とは酒や水を注ぐ器。
多くは、下の写真のように注ぎ口には穴が開いている状態で見つかる。その穴に細い竹管などを差し込んで使用したが、本埴輪は注ぎ口も形成されていて珍しい。
当初は頭部が見つからず、下の状態で公表されたが、その後修復が進んだとの事。
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男性埴輪は被葬者を表している可能性がある。

郷ヶ平6号墳の埴輪
円筒埴輪と朝顔形埴輪は製作技法がそれぞれ異なる。何れも尾張地域での製作技法との関連が見られる。
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 円筒埴輪1 須恵質焼成、円筒埴輪2 土師質焼成
 朝顔形埴輪3 同上、朝顔形埴輪4 同上
…朝顔形埴輪は筒型埴輪の上に壺型埴輪を乗せてできたと考えられる。
6号墳出土は土器も埴輪もグレー色調が多くなるが、それらは高温度の須恵質焼成によるもので、製造時期は古墳時代後期になる。
須恵器の製造技法は尾張地方を中心に分布する。

4,5は簡略化されたため、レジメの項目のみ下に記す。鈴木一有はまた別の機会に必ず話をすると約束。

4.埴輪群像が語るもの
古代王権の儀礼(首長の生前の様子)、狩猟儀礼(土地征服,開発開始)。
葬送儀礼(首長権継承)、飲食儀礼(共飲,共食)、軍事儀礼(鹵簿/ろぼ=儀仗警衛の隊伍を整えた行幸の列)。

5.まとめ~引佐郡域の古墳推移の意義
群域での首長系譜;墳長50mと墳長20mの明らかな系譜分離。埴輪の相違。
地域王権の推移。
 
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