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2026年06月05日21:26

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賀茂真淵記念館講座 「夏目漱石の『明暗』を読む」第1回

6/4(木)、賀茂真淵記念館講座「夏目漱石の『明暗』を読む」(全3回)の第1回を聴く。
 講師 折金紀男
 朗読 余川千津子

『明暗』は夏目漱石最後の長編小説。
1916(大正5)年5/26~同年12/14迄朝日新聞に連載され、漱石の病没により第188回迄で未完に終わった。
岩波書店は1917年、そのままで出版した。それでも漱石作品の中で最長編である。

漱石の最期は…
1916年11/21午前中に『明暗』の第188回連載分迄書きあげ、夕刻はフランス料理の築地精養軒で行われた辰野隆の結婚式に出かけた。
体調は芳しくなかったが、新婦江川久子が漱石の隣家山田三良の夫人の妹という事もあり、断れなかったようだ。
山田三良は東大法科教授で、電話嫌いの漱石は山田家に電話を借りていた。
辰野隆は東京駅の設計をした辰野金吾の長男でフランス文学者。
結婚式で漱石は砂糖に包まれたピーナッツの油揚げを食し、帰宅後胃の調子が悪くなったと伝えられている。
式は夫婦別席だったため、妻鏡子と離れていたのも災いしたのだろう。
翌月12/9に漱石は胃潰瘍を原因とした腹腔内出血のため亡くなった。満49歳。

多くの人が残念がり、小説のその先を想像したものだった。
水村美苗(みなえ/1951- )は1990年『続明暗』を筑摩書房から出した。同年水村は芸術選奨新人賞を受賞した。

『明暗』は登場人物同士の対話部分が極めて多い。これはドストエフスキーの影響かとも言われている。
作中でも、主人公津田由雄と学生時代からの友人小林がドストエフスキーを話題にしている場面がある。
由雄と小林はソリが合わず、その会話はいつも言い合いのようになる。問題を引き起こすのは作品のエネルギーでもあって、小林が本小説の全体を牽引していると言えなくもない。
ドストエフスキーのような殆ど対話でできている小説は日本では少ない。日本人は風景描写を好む。

講師折金は『明暗』を解説するに当ってこの対話を重視したいと考え、「『明暗』対話篇」とサブタイトルを設けている。
 6/4の第1回は、津田由雄と吉川夫人。
 6/11の第2回は、由雄と小林、お延とお秀、お延と小林。
 6/18の第3回は、由雄と吉川夫人、由雄と清子。

哲学者,文芸評論家の柄谷行人(からたにこうじん/1941- )は対話と視点について、新潮文庫版『明暗』の解説でこう言っている。
「『行人』、『こころ』、『道草』といった作品は、基本的には一つの視点から書かれている。わかりやすくいえばそこには「主人公」がいる。したがって、この主人公の視点が同時に作者の視点とみなされることが可能である。しかし『明暗』では、主要な人物がいるとしても、誰が主人公だということはできない。それはたんに沢山の人物が登場するからではなく、どの人物も互いに”他者”との関係におかれていて、誰もそこから孤立して存在しえず、また彼らの言葉もすべてそこから発せられているからである。」

『明暗』について、読者からその視点は前半では津田由雄だが、対話が続くうちに、いつの間にかお延の視点になっていると指摘された事がある。
その指摘に対し、漱石は、意識してそうしたと答えた由。

また、『明暗』では津田由雄と妻お延、由雄が元付き合っていた清子の三角関係が問題になっているが、よくよく考えれば、漱石は『それから』(1909)『門』(1910)『行人』(1912-13) 『こころ』(1914)『明暗』(1916)と男女の三角関係と心理的葛藤ばかり書いている。
この背景には、漱石が実際に三角関係に苦しんだ経験があると言われている。
その女性は大塚楠緒子(くすおこ/なおこ/1875-1910)という明治末期に活躍した才色兼備の歌人・作家。
漱石は1893年7月に東大を卒業し大学院に進んだが、同年寄宿舎に入った折りに2年年上の小屋保治との交友が始まった。大塚楠緒子とこの2人には交流が生まれ、漱石はいつか楠緒子と結婚するつもりになった。が、8月に保治は楠緒子と見合いをし、1895年に結婚してしまう。保治が大塚家に婿入りし、大塚姓となった。

漱石にとってこれは全くもって意外な事だったらしい。3月の結婚式に出席したあと、4月、漱石は逃げるかのように松山に赴任する。
同年末に漱石は中根鏡子と見合い、翌年6月に結婚する。
後年のエッセイ集『硝子戸の中』(1915)には、漱石の楠緒子に対する恋慕が押して知れる文章がある。
漱石は楠緒子の心理にいつまでも理解が及ばず悶々とし続けたようだ。

『明暗』の中で、津田由雄が付き合っていた清子は、大塚楠緒子と同じように知らぬ間に見合いをし、由雄の友人関と結婚してしまう。
その半年後由雄(30歳)はお延(23歳)と結婚する。

そののち、由雄は痔疾で手術をする事になる。
その時の彼の心理について漱石は書いている。
「この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起こりつつあるかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしい事だ。」
続けて、
「精神界も同じ事だ。(中略)何時どう変わるか分からない。そうしてその変わるところを己は見たのだ。」
これはつまり、清子の心変わりの事を指している。

少しあと、また由雄は独語する。
「どうしてあの女(私註;清子の事)は彼所へ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったからに行ったに違いない。然しどうしても彼所へ嫁に行く筈ではなかったのに。そうしてこの己は又どうしてあの女(私註;お延のこと)と結婚したのだろう。それも己が貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違いない。然し己は未だ嘗てあの女を貰おうとは思っていなかったのに」。

ある日、由雄は会社の帰り、吉川家に寄る。吉川は由雄の父の友人で、由雄が務める事になった会社の上司である。
吉川が帰宅しないので、由雄は吉川の妻と会話する。彼女は由雄に清子を紹介した人物である。清子が由雄の許から離れたのちは、お延と由雄の結婚式の媒酌人を務めた。
吉川夫人は、目下の者達を自分が教育してやらなければならないと思い込んでいる。

夫人「奥さんができた所為か近頃はあんまり宅へはいらっしゃらなくなった様ね」
夫人は夫婦仲を尋ねる。
由雄「別にどうということもありません」
夫人「じゃあ嬉しい所は通り超しちまったの。嘘を仰い」
由雄「嬉しい所なんか初めからないんですから、仕方ありません」
吉川夫人は、由雄達の歳の差を改めて訊く。
それに答えてから、由雄「奥さんは随分意地が悪いですね。(中略)何だか意味のあるような、又ないような訊き方をして置いて、わざと後を仰らないんだから」
夫人「後なんかありゃしないわよ。一体貴方は研究家だから駄目ね。学問するには研究が必要かも知れないけれども、交際に研究は禁物よ。あなたがその癖を已めると、もつと人好きのする好い男になれるんだけれども」
続けて夫人「嘘だと思うなら、帰って貴方の奥さんに訊いて御覧遊ばせ。お延さんも屹度私と同意見だから。お延さんばかりじゃないわ。まだ外にもう一人ある筈よ、屹度」
更に「解ったでしょう。誰だか」

「外にもう一人」とは清子の事に違いない。清子が何故由雄から離れていったのか、仄めかしているのだろう。
 
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