李琴峰(りことみ/1989- )の小説『ポラリスが降り注ぐ夜』を読む。
李琴峰は1989年台湾生まれ。
15歳で日本語を学び始め、台湾大学卒業後2013年に来日、2018年に永住権を得た。
日本語で文筆活動をし、2020年刊の本小説で芸術選奨新人賞、翌年の『彼岸花が咲く島』が芥川賞。
台湾人で芥川賞を受賞したのは彼女が初めて。
素晴らしい文体で、日本語としてこれ程完成度の高い文章を最近読んだ事がない。
タイトルの「ポラリス」とは北極星の事。
新宿二丁目はアジア最大のゲイタウンとも言われてきたが、その一角に小さなレスビアンバーが集まっている場所があり、「ポラリス」はそうした店の一つ。
十数年に亘ってこの地で「ポラリス」を経営してきたのは北星夏子、ここで時代と伴に様々な人と人の関係を眺めてきた。
2018年、平成最後の12月の土曜日の夜、この「ポラリス」にやってきた、レズビアン、トランスジェンダー、アロマンティック/アセクシュアル、バイセクシュアル、パンセクシュアル他、様々な性的アイデンティティを持つ十数人の「女性」(肉体的な意味に留まらない)達が、個々の関係や人生について語り合い、その内容はセクシュアリティ、ジェンダーからいつの間にか人種、民族、国籍、文化、政治、歴史の問題へも展開していく。
性的マイノリティについて書きながら、スケールの広がりには圧倒される。
小説は7つの章で構成されているが、単なる短編の羅列でなく、章毎に時間と登場人物(日本人,台湾人,中国人他)が微妙にズレていき、複数回登場する人物も現れ、また、前章ではただの酔客だった人物が次章では名前を得て物語を動かすなど、章相互が有機的な関係を持つ幅の広いドラマに仕立てられていく。
性的マイノリティも、十数年の推移と伴に新しい名前が付与され、カテゴライズされ、単純に括られないようになってきた。「ポラリス」の店主夏子が理屈でなく実感する通りだ。
カテゴライズは彼女らを助けもし、苦しませもする。そこからレポートは始めたい。
第3章「蝶々や鳥になれるわけでも」では、こんな会話が交わされる。
南京生まれの女性「蘇雪(スーシュエ)」は恋をした事がない。いろいろ試してみたが、その感情がどんなものか分からない。地元ではそれが基で人間関係に亀裂も生じた。
蘇雪は東京の大学の入試を受け、逃げるようにして日本へやってきた。
同じ大学の「野川利穂」にも似た経験があって、二人は親しくなった。
自分の性癖からマイノリティについて研究した利穂は、ポラリスで語り明かし、自身を「ノンセクシュアル」、蘇雪を「Aセクシュアル」だと断じた。
そうした言葉に自分を当てはめる事に抵抗を感じた蘇雪は反論した、「何でも名前をつけて、カテゴライズする必要はないんじゃないかな」。
利穂は「カテゴライズされることで自分自身の存在に対する安心感が得られるのなら、してもいいんじゃないかな? だって、言葉がないのはあまりに心細いんだもの」、そう静かに言った。
更に、「同性愛者に両性愛者、そしてトランスジェンダー。先人は大変な苦労をしてやっと自分に名前を見つけることに成功した。名前というのは、自分は一人じゃないってことの証拠なの。そして名前がないのは、生まれていない、存在しないも同然よ」とも。
第5章「深い縦穴」でもカテゴライズの問題が顔を出す。
レズビアン系の出会い系サイトで知り合い、新宿二丁目で会う事にした「ゆー」と「香凜(かりん)」。しかし、2人の付き合いは進展しなかった。
ゆーと別れたあと、香凜は新宿伊勢丹前の路上で「無料人生相談」なる行燈を見て男性に声をかけてみた。
話のなりゆきから、男性は「性の在り方」なるタイトルの本を開き、「お姉さんは、この中のどれですか?」
香凜は迷いながら、「分からないし、決めたくもないんです」と答えた。
「敢て言葉で自分を定義する必要を感じません。昔は男と付き合っていたし、今は女と付き合っているけど、自分をバイセクシュアルだとは思っていません。かといって完全なレズビアンでもない気がします。どの言葉を使っても、自分自身を部分的に削り取ってしまうような気がするんです」と。
実は、香凜は過去に深く付き合っていた中国人の女性と喧嘩別れした経験がある。
ある言い合いの中で、「楊欣(ようきん)」という名の女性は香凜に言った、「君は完ビじゃないだろう」、「どうせいつか男に走る」。
彼女の声は次第に叫びになっていった、「バイセクシュアルなんて信用できない」、「男も女も行けるのに、わざわざ女を選ぶ理由なんてないだろう? 俺の知らないところで男と浮気しているかもしれないし」。
これが楊欣が香凜に放った最後の言葉だった。翌朝、楊欣はいなくなってしまった。
(続く)
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