(続き)
Chapter 3「横たえる」
この展示室の絵の中で横たわる人々は、全て諏訪自身の家族である。
ベッドで多くの管につながれた父、亡くなった父のデスマスク、その父が手記に遺したハルビンの難民収容所で病死した祖母の存在は諏訪のリアリズムを新たな領域へと導いた。
満蒙開拓団だった親族が辿った悲劇を、長期に亘る現地取材を基に描いた《棄民》は、国家間の戦争の記録と、戦禍に翻弄された無名の人々の記憶が交差する新たな戦争画とも言える。諏訪のリアリズムの一つの到達点かもしれない。
《棄民》の作品群は2023年2月に府中美術館で観た。
画像含め以下を参照頂けたらありがたい。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984463556&owner_id=3341406&from=list_diary_search
そして、諏訪は一昨年の2024年12月に母親を看取った。
下は亡くなる1週間前のスケッチ《mother/16 DEC 2024》。
新たに描いた家族史のシリーズには、幼かった自分の姿も描き加え、時間の濃密さを表現しようとしている。
病床の母を描く事で、諏訪はコロナ禍より失っていた人を描く事への意欲を、徐々に回復させていく。が、一方で、亡くなって静物にならなければ母を描けなかった、自分は結局、死しか描けないのか、という葛藤とも向き合う事になる。
Chapter 4「語りださないのか」
第4章では諏訪が本展のために描き下ろした静物画を展示している。
コロナ禍で諏訪は、自宅で母親の介護と静物画研究に没頭した。イーゼルの脇に設えた医療用のステンレスワゴンに並べられたのは、頭蓋骨,草花の他、豆腐,蚕,タロイモ等々。
下は会場に参考展示されていたものを撮った写真。
諏訪の場合"これは絵ではない"と言わなければ勘違いされてしまう可能性があるので、一応書いておく。
西洋絵画の静物画の伝統から逸脱するアジア的モチーフは、農作物がどのようにして栽培されるようになったかを物語る「食物穀物起源神話」に関連する。
この神話型式はインドネシア、そして日本にも存在する。『古事記』には五穀の起源が、『日本書紀』には養蚕の起こりが、死せる地母神の身体からもたらされたと記されている。
《日章と家蚕》(2024-25)
諏訪はこうした野生の記憶を絵に組み込む事で、まだ明らかではないが、静物=死んだもの、というロジックから生へと転じさせる道筋を探り、語りだそうとしているのかもしれない。
《H型イーゼル》(2024-25)
宮本武典が諏訪の家を訪れた時、この絵はタイトル通り打ちっぱなしのコンクリートの壁の前のイーゼルだけが描かれていた。
宮本は思ったそうだ、諏訪は、人を描けなくなっただけでなく、描きたいもの自体無くなってしまったのか、描きたいものがなくなって画家を続ける事ができるのだろうか、と。
諏訪の内心は分からないが、その後彼は動物(幼いシカか?)の死体がイーゼルにぶら下がっているところを描き始めた。
宮本はこの絵を観て、まず"重量"を感じたと言っている。重さを感じさせる絵はなかなかない。
諏訪によればこの絵は未完成で、今後何を描き加えるのか、未完成で終えてしまうのか、結論は出ていない、との事。
Chapter 5「汀にて」
コロナ禍より「人間を描きたいという気持ちを失ってしまった」と語っていた諏訪、その最新作は肖像画でも静物画でもない。
構想1年、本展のために制作した大作《汀にて》作品群(全8点いずれも2025)の主幹は、骨格標本に石膏と外壁用充填材で肉付けして作った等身大の謂わば「ひとがた」である。
絵画,ドローイング,ひとがた(彫刻とは言いづらいと本人の弁)の3要素から成る本作について諏訪は、鎌倉〜江戸時代にかけて描かれた仏教画「九相図」に倣ったと言っている。しかし、「九相図」が野辺で次第に朽ちていく女性の遺骸を示しているのに対し、《汀にて》は骨に肉付けをしていくという死から生への「逆回し」で制作したとも言える。
また、画家が再び人間を描けるようになるための自己治癒のドキュメント、と言えなくもないが、これらが明らかになるのには、もう少し時間の熟成が要るだろう。
「私はまだ"ひと"と"モノ"の汀に立っている。」
当日16:30〜17:30、9.11に始まって3.1に終わった長い会期の最終日に、クロージングトークが行われた。
事前には告知がなく、私は当日朝、展覧会のHPで見つけ、急遽上京の行程を変えて参加する事にした。
・トーク 宮本武典×諏訪敦
内容については、不充分ではあるがこのレポートに加味している(つもりだ)。
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