昨日レポートした相良梅園から南へ5km程下ると、平田寺(へいでんじ)という臨済宗妙心寺派の寺がある。
室町時代1283年に開山、戦国時代末期に本堂は焼失。
1758(宝暦8)年、田沼意次(1719-88)が相良藩主に就任すると厚い庇護を受けた。1786(天明6)年には、意次によって本堂は再建された。1786年というと意次が老中を辞任させられた年で、この微妙な前後関係はよく分からない。
左端に見える唐破風の玄関は、田沼家専用の出入口として造られた。
現在も本寺開山堂には田沼家の位牌が祀られている。
また、本堂の前庭には嫡男意知の供養塔がある。
意知は1784(天明4)年、殿中で佐野善左衛門政言に斬りつけられ、翌月死亡した。
本堂落慶時には意知の三回忌法要も営まれたというから、意次は嫡男が亡くなって間もなく本堂再建を決め着工したのかもしれない。
この事件を契機に意次の権勢は衰え始める。
本寺には、また国宝に指定されている『聖武天皇勅書』(非公開)が遺されている。一見関係のない平田寺に何故これが伝えられているのかは不明。
他に、日本初の国際的オペラ歌手となった三浦環(1884-1946)の記念碑も存在する。
石碑中央に環直筆からとった「声」、右脇には「鶯は西や東へ舞ひつれど やはり嬉しき故郷の梅」と彼女の短歌が彫り込まれている。
オペラ公演で飛び回り、夫の死に目にも会えなかった自分自身を「鶯」に見立てている。
三浦環は現御前崎市出身の父と菊川氏出身の母の下に明治17年に生まれた。
菊川にある母 永田登波の生家にも環の「声」の碑が設置されている。字体は異なる。
〈参〉「近づく静岡国際オペラコンクール、世界にはばたいた三浦環」(2023.10.15記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986136941&owner_id=3341406&from=list_diary_search
今年は環没後80年の記念年となる。
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