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2026年02月13日12:00

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伊与原新 著 小説『宙わたる教室』 ��

(続き)

しばらくして、岳人のスマホに藤竹からメールが入った、
「長年の疑問に答える地学の実験をやります。待っています。」

藤竹はその夜、グラウンドで、岳人の友達の不良仲間のMと出くわした。
Mは定時制をやめてしばらくたつが、岳人に用があると、原付をふかしてここに現れる。
Mは唾を飛ばし、「定時制の教師なんて、みんな腰掛けっしょ?知ってるよ、お前らが俺達に何してくれったっつーの。」
藤竹は言った、
「待っているんですよ。我々定時制の教員は、高校生活を一度あきらめた人たちが、それを取り戻す場所を用意して待っている。あとは生徒たち次第です」。
Mは、こんな暗い学校に何があるもんかとあざ笑ったが、
「取り戻せますよ」、藤竹は言った「この学校には、何だってある。教室があり、教師がいて、クラスメイトがいる。ここは取り戻せると思っている人たちが、来るところです」。
後ろからやってきた岳人の耳にそれが入った。

岳人と教室に入ると、藤竹は皆の前で訊いた、「空はなぜ青いのか? 正しく答えられる人はいますか」。
「今日は簡単な実験をしながらそれを説明してみましょう。今からこの教室に、ささやかな"青空"を作ります」。
皆の、特に岳人の目が吸い寄せられるのを藤竹は感じた。

実験については、伊与原らしい科学的で具体的な言葉が尽され、読者にも興味深い。
その内容をここでしゃべるのはやめにしておくが、科学は世界をクリアにする力がある。

クラスで一番陽気で目立つのは越川アンジェラというフィリピンと日本のハーフ。43歳、夫もハーフ。一緒に新大久保でフィリピン料理店を経営している。皆は「ママ」と呼ぶ。
彼女は実質小学校も半分しか出ておらず、最近になって勉強をしてみたいとここに来るようになった。夫1人に夜間店を任せるのは気が引けるが、栄養士の専門学校に通う娘が手伝ってくれると言う。
1年経ち、勉強について行けないのが見えてきて焦りだしている。それでも、周囲に悩む人がいると声をかけずにいられない性格だ。

16歳の名取佳澄は、中学時代起立性調節障害で不登校生だった。家族の不理解からリストカットを繰り返すようになった。手首に何本も傷があるのはそのせい。
ここに入学してきてじきに過呼吸発作を起こし、それが怖くて、その後も学校にくるとすぐ保健室に行って休む事が多い。
悪友の中には、リストカットすると過呼吸が楽になるという女生徒もいる。
SF小説が好きで、ベッドに横になり、読書で時間を過ごす。

教室ではいつも一番前の真ん中に座り、教師に質問を繰り返す長嶺省造は74歳。「長老」という綽名がついている。
炭鉱町に生まれ中学を卒業してすぐ集団就職で東京に出てきた。長嶺の口癖は「どんな親もとに生まれるかは運次第、それで人生が決まる」。
「親ガチャ」から抜け出れるとは思えないが、この歳になって勉学に対する欲求が強く出てきた。
やる気のないクラスの若い男女を見ると、注意したくなる。そのため、浮き立ってしまう事があるが、隣に座るアンジェラだけは優しく声をかけてくれる。
金属加工の町工場を経営していて、理科系の科目には理解が良いが、英語はからきしダメ。
妻は肺が悪く手術をしたばかりで入院中だが、夫の定時制通いには深い理解がある。

藤竹は、機会を捕まえ、様々な実験をしてみせて興味を惹き、そして、「科学部」を創ろうと思っているので参加しませんか、と声をかけた。
年齢差も大きく、経歴も、それぞれに抱えている悩みも異なる。そんな連中が集まって何かできるのだろうか。

藤竹は大学院で「天体衝突と惑星の進化」をテーマに研究、彼の論文は「ネイチャー」にも掲載され、博士号も取得した。
だが、ある研究過程で、日本の大学や学界の偏狭なエリート主義に落胆し、渡米した。米国の学会は研究にはフリーで誰にもチャンスを与えられた。
日本に戻り、大学との関係は保ちながらも、定時制高校に職があると知り、藤竹は自ら手を挙げた。
定時制には、多様な人達がいる、ここで科学部を創ったら、どんな事が起き、何が生み出されるか観察してみたい、そんな下心も抱いたのである。

最初は生徒らがぶつかる事も多かったが、進めていくうちに、それぞれが持っている興味や特技が、藤竹が提示する実験に役立つ事を知り、次第にチャレンジ心が芽生えてきた。
「どんな人間も、その気になれば、必ず何かを生み出せる」。

1つ1つの小実験を乗り越えて、テーマは次第に大きなものになっていった。
掲げられたのは「火星のクレーター」である。地球にあるそれと形状が違うのは何故か?
仮説は諸々存在するが、実際に異なる重力、天候、土や水の成分・環境等を実験室で実現してみなければ分からない点が多い。
その過程で、岳人の提案でにより製の重力可変装置を作る事となった。地球上でも、落下時に重力は変化する。装置の中で落とす金属の球は「長老」が自分の工場で工作した。
アンジェラの料理の知識や技術は、火星の火山灰作りに大いに役立った。
そうした、例は挙げればキリがない。定時制高校の多様な生徒らは、それぞれが汗をかき主体的に行動するテーマをみつけ、小さな実験を統合していった。

そして、その成果報告が学界のある発表機会に結びつくチャンスが出てきた。
勿論、失敗は幾度も繰り返され、スケジュールからしてもうダメかもしれないという大事故も起きるが、皆は何とかまた起ちあがった。

実験の1つ1つがおろそかにされず、具体的に、目の前で行われているように見えるのは、伊与原の経歴によるところが大きい。
彼は1972年に大阪に生まれ、神戸大学理学部地球学科卒業、その後東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し博士課程を修了した。大学院では地球の磁場の研究を行い、理学博士の学位を授与された。

岳人は、発表の帰り、藤竹が科学部を創りたいと言い出した時の事を思い出した。
藤竹は、「この学校には何だってある」と言った。確かにそうだ、挑戦する気になりさえすれば、何だってできる。
最初は皆バラバラだったが、その多様性こそが独創的を生み出す。

発表会場を出たところにJAXAの小惑星探査計画の担当者がやってきて、一緒に基礎実験をやってもらえませんか、と申し入れをしてきた。
アンジェラも佳澄も長嶺も、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

岳人は、歩道橋の上から見事な夕焼けに浮かぶ明るい星を見つめながら思った、
「俺の居場所は、しんとした校舎に窓明かりが灯る、あの教室だ。
窓から暗い夜の街しか見えない、あの教室だ。
そして、俺達の教室は今、宇宙をわたる。」


初出
・第1章〜4章、月刊「オール読物」2022.2月号,5月号,8月号,12月号連載。
・第5章〜7章、書き下ろし。

発行 文藝春秋、2023.10.30

TVドラマ化
 演出 吉川久岳,一色隆司,山下和徳
 放送 NHK総合2024.10.8~12.10
 
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