9/24(水)、シネマイーラ浜松で『私たちが光と想うすべて』を観る。
インドの女性監督パヤル・カパーリヤー(1986- /ムンバイ)が制作した初の長編映画で、カンヌ国際映画祭グランプリ他、数多くの賞を獲得した。
私はインド映画はあまり観ていない。インドという国や歴史、インドの人々についても、私は正直理解度が高いとは言えない。
前半はインド半島西岸にあるムンバイという大都市(昔はボンベイと表記された)、後半はそこから南へ320km(電車で6時間強)下ったラトナギリという自然豊かな、海の美しい町が舞台となっている。
ムンバイは市域の人口が1250万人、インド第2の都市。多くの人が地方から職を求めにやってきて、昼も夜も街は人で溢れ、通勤時の駅や電車はラッシュとなる。需要に従い、車も高層建築も急増、夜通し光が瞬く。
モンスーン気候で1年は雨季と乾季に分かれ、映画の時間は6〜7月頃か、よく雨が降る。
主たる登場人物は3人の女性で、同じ病院で働く。
プラバと少し年下のアヌは看護師で、狭いアパートをルームシェアして暮らしている。
仕事を見ると、プラバは正看護師、アヌは准看護師と呼ぶのが妥当か。
2人は南部ケーララ州出身だという事があとから分かる。ケーララはムンバイから1350km、電車で30時間近く南に位置する。インド半島南端の方が近いくらいだ。
同州は歴史的に看護師を多く輩出している土地柄だと聞く。
もう一人パルヴァティは中年で、同じ病院の調理場で働いている。
彼女の郷里が、先に掲げたラトナギリである。
元々カーストという階級制度があったし、大都市はマネーによる格差が激しくなってきた。3人共高所得の部類には入らない。
アヌがルームシェアの代金をひと月待って欲しいとプラバに申し出るシーンがある。したがって、プラバの方が少しマシだと推測されるが、いずれにしても、狭いアパートの同じ部屋にベッドを並べているくらいだから、懐事情は知れる。
プラバは既婚者だが、夫は結婚してじきにドイツに出稼ぎに行ったまま帰ってこない。この1年余りは電話さえかかってこない。
元々親の勧めで見合いをして結婚したので、忙しさに紛れている限り、彼を恋い焦がれるような事はないのだが、ドイツでどうしているのかと思う。この宙ぶらりんの結婚は一体何なのか。
凡その事を知っている勤め先の医者の一人マノージが、プラバにおずおずと優しい声をかけてくれる。
ここで問題になるのは言語だ。
マノージは言う、言葉が違うので会話が通じにくい。
日本人の間ではこういう事は起こらないので、当初マノージは外国人かと思った。
インドの連邦レベルの公用語はヒンディー語だが、元々870もの言語があったとされ、州毎に独自の裁量で州の公用語を決める自由を持つという現実もある。
ムンバイの公用語はマラーティー語だが、グジャラーティー語も多く、次第に北部地盤のヒンディーを使う人も増えてきた。
プラバとアヌは専らケーララ州の公用語マラヤーラム語を使う。
マノージが日頃使っているのが何語か私には分からないが、プラバは、時々マラヤ―ラム語の正しい使い方を彼に教えてやったりする。
彼が困っているのは実は診察における患者との会話ではなく、プラバとのやりとりだったらしい。
マノージはプラバとの交流を深めたいと思っているのだが、医師の仕事はなかなか自由な時間を作れないし、彼の内向的な性格も手伝って、思うように進展しない。
プラバもマノージの気持ちが分からくないが、1年以上音信がないとは言え既婚者である事は間違いない。プラバは頑なな一面がある。
何日か後、プラバはマノージから小さなノートを贈られた。
開けようとすると、マノージは恥ずかしそうに、「僕のいない時に見て欲しい」と。
夜、プラバはアヌを気遣い、暗い所でスマホの灯をたよりにノートを開いた。そこには詩が認められていた。
私の夢を作るのは
私が過去に置いてきた
日常に散らばる小さな事物
私の希望はその小さな事物を集めた箱
それを私は持ち歩く
そして今
隣の家のランプのように
あなたはほの光る
その光を眺めるだけで夜は暖かだ
一方、アヌには付き合っている男性がいる。シアーズという青年だが、彼はムスリムである。
アヌはヒンドゥー教徒の両親に相談した事はないが、ムスリムとの結婚は絶対認めてくれないと思い込んでいる。
世間の人々の一般的な考え方もほぼ同様であるし、自由になるお金も少ないため、2人の付き合いは自ずとこっそりしたものにならざるを得ない。奔放な性格のアヌは、そうした付き合いが辛くてならない。
看護師仲間でも噂が立ち始め、時おりアパートへの帰りが遅くなるアヌを、プラバは心配している。
ある日、アパートに荷物が届く。宛先はプラバになっているが、送り主の名はない。
アヌは勝手に箱を開け始める。
と、赤色のきれいな電気炊飯器が出てきた。中にも手紙はない。
アヌが本体をひっくり返し、小さな字を見つけて言う、「メイド・イン・ジャーマニー」、これはきっとご主人からよ、電話をしてみたら、と。
だが、プラバはこちらからかける気になれない。
私はつい小津安二郎の映画を想い起こした。
時に小さな問題は起こるが、誰も立ち上がらず、どれも解決に至らぬまま季節が過ぎてゆく。
(続く)
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