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2025年09月05日13:00

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ETV特集『ヒロシマからの手紙-"原爆"を綴ったアメリカ人たち』~4/4

(続き)

時間は現在に移る。
米国ブラウン大学の国際政治学者ニーナ・タネンワルドは、核の使用をためらうトルーマンの姿勢は歴代政権に影響を与え、目に見えない "核のタブー" を形作ってきたと主張している。
「トルーマンは、原爆の使用について強い自制の前例を作りました。彼は原爆に対して道徳的な疑念を抱き、これ以上原爆を使いたくないと強く感じていたのです。
それは謂わば "核のタブー" とでも言うべき考えを発展させる土台となる非常に重要なものでした。
1945年以降、核兵器が再び使用されなかった最も重要な理由の一つは、このタブーにあると私は考えています。」

広島に元大統領トルーマンに会った被爆者がいる。森下弘(94歳)。
14歳の時に被爆。大火傷を負い、母を失った。
1964年、森下らは被爆の体験を伝えようと渡米。その時トルーマンが面会に応じた。80歳頃だろうと計算される。
白髪の老トルーマンはその時、問われて答えた。
「原爆の目的は、米国人と日本人それぞれ50万人の犠牲者を出さずに戦争を終わらせるためだった。それは必要な事だった。」
原爆の被害者との初めての出会い。トルーマンはこれ迄の見解を繰り返しただけだった。
森下は、今、その面会を思いだして言う。
「そこにいた皆も同じだったんですけど、"すまない"という事がなかったから、本当に残念だと、腹立たしいと思いました。」

NHKの取材班は、トルーマンがトーマス・マレー宛てに " 原爆は悪だ "と書いた手紙を森下に見せた。
「やっぱり一個の人間として、あるいは親として…、どっかに人間というところがあるんだな、と思わされる手紙ですね。
それでありながら、人間、人類は神様じゃないから、善にのみ与していけない弱いところがあるんですね。
その後の大統領にしても、いろんな機会にこういった思いが公にされてきたら良かったなと思いますね。」

トルーマンは多面的な顔を持っていて理解しにくいところがある。
これは番組の意見でなく私の個人的で感覚的な感想だ。


再びフィリス・フィッシャーの孫娘レイチェル・ロビンズへのインタビューから。
原爆開発の拠点ロスアラモスで物理学者の夫レオンと一緒に暮らしたフィリス、戦後は福祉の仕事に就き、夫は核兵器から離れ、大学で教鞭を取った。
「祖父母が話したくなかったのか、私達が訊くのを恐れていたのかははっきり分かりません。原爆開発のプロジェクトに参加していた時期の事については口を閉ざしていました。
ただ一度だけ、祖父は、子供達は私のした事を許してくれるだろうか?と家族に漏らしていました。」

フィリスは自らを苦しめたロスアラモスの体験に向き合い1985年1冊の本(『Los Alamos Experience』)(*)にまとめた。そのきっかけとなったのは、広島への旅だった。
 (*)邦題『ロスアラモスからヒロシマへ:米原爆開発科学者の妻の手記』1986.7.1時事通信社刊。
フォト


レイチェルは更に言う。
「彼女にとって、過去を清算する旅だったのだと思います。広島に行き、爆心地を見た事で、心の奥に抑圧してきたものと向き合ったのでしょう。」
広島の平和公園を訪れたフィリスは、そこで出会った1人の女性の姿に心を打たれ、手紙の形式で思いを綴った。
「ヒロシマのおばあ様へ
あなたに出会ったのは1979年11月のある寒い日の事でした。
あなたは誰の目も気にせず、原爆死没者慰霊碑に歩み寄って、そこで静かに立ち尽くしていらっしゃいました。
人間が人間になした非人間性を忘れてはならないとするあの慰霊碑の前で、あなたの静かな祈りは私にも届きました。
あなたの気持ちに寄り添いたい、あなたを抱き締めたい。一人の米国人女性として、深く悲しんでいる事をどうしても伝えたかったのです、" I'm sorry "。」

レイチェルは祖母フィリスが書いたこの本を何度も読み返してきたと言う。
「祖母が " I'm sorry "と言った事についてずっと考えていました。
祖母にとって、あの戦争で心が傷ついた者同士として寄り添いたいと感じた瞬間でした。
自分の人生が広島の人々に影響を与えてしまった。自分達の行為がもたらした結果を突きつけられた時、傍観者ではいられなくなったのです。」

去年レイチェルが書いた小説(『 the Sound of a Thousand Stars 』)が刊行された。(現在のところ、日本語訳は出版されていないようだ。)
小説の最後、原爆を開発した女性の科学者が広島を訪れ、被爆者の男性に " I'm sorry "と語りかける。
「祖母の物語を受け継ぐ必要があると感じたんです。彼女の人生に触発され、彼女がした事を辿ってみたいと思ったんです。
今の時代、彼らが生きた時代と多くの類似点があると思います。ヒバクシャは年老い、少なくなっています。だから、若い人達に、この物語を伝える事は、私達にできる最も重要な事だと思うんです。」

一方、トルーマンの孫クリフトン・トルーマン・ダニエル。
彼は、原爆投下を決定した大統領の子孫として自分にできる事は何か、考え続けてきた。
「大統領の子孫には、しなけれぱならない仕事が2つあると思っています。
1つは先祖の遺産を永続させる事。もう1つは、私が広島と長崎に行き、ヒバクシャと友人になり、彼らの体験を伝え、二度とあのような兵器を使わないように尽力する事です。」

2012年、日本を訪れたクリフトン、被爆者の話を聴き、原爆を追体験したかのように感じたと言う。
「全てのヒバクシャに対して感じたのは、大きな畏敬の念です。核戦争が再び起こらないように、彼らは繰り返し恐ろしい体験を語り、私達に追体験させる事で世界に大きな貢献をしているのです。」
クリフトンは、被爆者をアメリカに招き、核兵器は二度と使われてはならないとの思いを拡げる活動をしている。

80年前の1945年、85%に達していた原爆投下への支持。
2024年の世論調査(ギャラップ・読売新聞社の調査)で、原爆投下は正当化されるという声は56%となった。

前掲の国際政治学者タネンワルドは、核戦争を押し留めてきた一因の "核のタブー"が今危機に瀕していると言う。
「全体的に見れば、今 "核のタブー"は困難な状況にあると思います。ロシアによるウクライナ侵攻だけでなく、イスラエルとイランの間で起きた事も一因です。"核のタブー"を守るには、人々が核兵器を使わない事が正しいと信じる必要があります。タブーを生みだした要因はトルーマンだけではありません。より大きなものは、1950年代から日本,ヨーロッパ,アメリカで起きた市民による世界的な反核運動でした。市民は(とりわけ民主主義国家においては)声を挙げ、政府に訴え続けていく必要があります。」

広島への原爆投下直後、息子に後悔の手紙を綴った物理学者アルヴァレズは、強い兵器こそが戦争を止めるという"アルフレッド・ノーベルの夢"を追い求めた。
しかし、水爆開発に携わったのち、核兵器から離れた。2度と戻る事はなかった。
晩年、自伝の中で彼はこう綴っている。
「核兵器による戦争の抑止は完璧なものではない。だが、それに代わるシステムを私達は作り出せていない。」

80年前、核兵器という巨大な力に直面した人々が手紙に綴った思い、その宛先は今を生きる私達自身なのかもしれない。


ディレクター 今理織,奥翔太郎
朗読出演 藤原竜也,吉岡里帆


・・・・・・

これは私個人の感想で番組とは直接関係はない。

日本も、人として、この" I'm sorry "を、例えば、韓国他の元慰安婦や強制労働させた方々に、中国の南京事件の遺族の方達に、フィリピンバターン行進で亡くなった捕虜の遺族の方々に、言うべきだと思う、心ある人として。
 
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