(続き)
さて、ヒンデミットの交響曲《画家マティス》である。
最初に言っておかねばならないのは、この「マティス」はフォービスムのフランスの画家アンリ・マティス(1869-1954)ではなく、ドイツ・ルネサンスの画家マティアス・グリューネヴァルト(1470/75頃-1528)だという事。代表作は《イーゼンハイム祭壇画》(1512-16)で、この交響曲と深い関係がある。
パウル・ヒンデミット(1895-1963)は20世紀ドイツを代表する作曲家。ユダヤ人ではないが第2次大戦前、ナチスに「退廃音楽家」として嫌われ、ベルリンから離れ、1938年にはスイスに亡命した。
作風は、若い頃は後期ロマン主義、表現主義。バッハの対位法を好み、1920年代からは新即物主義、新古典主義に移行、「実用音楽」も提唱した。無調音楽とは距離を置いた。ヴィオラ奏者としても優れ、独奏及び室内楽で活躍、またオーケストラの殆どの楽器を弾きこなす才人で、様々な楽器のための音楽を書いた。
ヒンデミットは1934〜35年にかけてオペラ《画家マティス》を自身のリブレットによって作曲。同名の本交響曲はオペラの素材を再構成する形で並行して書き、1934年先んじて完成、フルトヴェングラー指揮のベルリンフィルによって初演され、大成功した。
これがいわゆる「ヒンデミット事件」に発展し、ナチスによって全作品の演奏が禁止される事となった。
マティアス・グリューネヴァルトは1508年頃迄にカトリックのマインツ大司教の宮廷画家に任じられたが、ドイツ農民戦争(1524)でルター派に転向した経緯から解任された。その後二度と絵筆をとらなかったと伝えられる。
1528年、ペストにより死去、50歳代半ばだった。
ヒンデミットがナチスとの関係において、自身の姿をグリューネヴァルトに重ねていた可能性はある。
《イーゼンハイムの祭壇画》はドイツとの国境付近、フランスのアルザス地方コルマールにあるウンターリンデン美術館に現在収蔵されている。
元はコルマールの南方、イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院礼拝堂にあった。
祭壇は扉の表裏に絵が描かれ、その開閉によって、さまざまなシーンを観る事ができる。
扉を閉じた状態(第1面と称す)では、中央に〈キリスト磔刑図〉、同図内の左にマグダラのマリア、使徒ヨハネ、聖母マリア、右に洗礼者ヨハネ。左パネルには聖セバスティァヌス、右パネルには聖アントニウス、下パネルには〈キリスト埋葬図〉が描かれている。キリストの生々しい身体は、磔刑図でも埋葬図でも全身傷だらけである。
真ん中の観音開きのパネルを開けた状態(第2面)では、中央に〈キリスト降誕図〉と〈天使の合奏〉、左パネルに〈受胎告知図〉、右パネルに〈キリスト復活図〉が見える。下パネルは第1面と同じものが見えている。
聖アントニウスの大祭日には、更に真ん中の扉が開けられ、最奥の木彫祭壇を見る事ができる。その状態を第3面と呼ぶ。
中央には椅子に座る聖アントニウス、左に聖アウグスティヌス、右に聖ヒエロニムス、下にはキリストを中心に最後の晩餐の様子が、ニコラス・ハーゲナウアーの彫刻で制作されている。左右のパネルはグリューネヴァルトの絵で、左パネルには〈隠者パウルスを訪れる聖アントニウス〉、右パネルには〈聖アントニウスの誘惑〉、苦行の中で魑魅魍魎の誘惑を受ける場面が描かれている。
交響曲《画家マティス》は3つの楽章で構成されている。
・第1楽章〈天使の合奏〉、序奏付きソナタ形式
〈天使の合奏〉の絵は第2面の中央近くで見られる。
音楽としては、オペラの前奏曲を流用。
静かな導入部では3本のトロンボーンが古謡〈3人の天使が美しい歌を歌う〉を奏でる。オペラでは第6場、農民反乱の指導者の娘レギーナがこれを歌う。
アレグロになってフルートや弦が生気ある2つの主題を次々奏し、続いて緩やかな第3主題による展開部。テンポを上げ、複数主題がフガートとなり、更に序奏の古謡も絡んで高揚、宗教的な至福のエンドを迎える。
・第2楽章〈埋葬〉
〈キリスト埋葬〉の絵は、第1及び2面の下部パネルにある。
オペラの第7場(終幕/マティウスのアトリエ)で奏される暗く重たい間奏曲。マティアスがレギーナの死を看取り、朝を迎える間に《イーゼンハイムの祭壇画》を完成させ、彼の死をも暗示させる。
弦による死、フルートとオーボエの祈りと嘆き、金管が加わってトゥッティがピークを築き、祈るようにエンド。
・第3楽章〈聖アントニウスの誘惑〉
〈聖アントニウスの誘惑〉の絵は、第3面の右パネルに描かれている。
オペラの第6場〈森の中〉、マティアスが見る化け物や妖怪らの幻影が自由に再構成される。
第1,2楽章と異なり、音楽は激し、リズムが重視される展開で、まるでサスペンス映画のようでもある。
弦の速いレチタティーヴォが苦悩を表し、打楽器群がまるで処刑のような効果を出して音楽を断ち切る。
強い付点リズムによるオスティナート、これも打楽器で幾度も断ち切られ、新たな闘争を生む。
中間部、テンポを落とし、第2楽章の再現のような弦の長大なモノローグは苦悩と祈りが交錯する。
アレグロに戻り、軽やかなステップから重層的に盛り上がっていくと、またまた音楽は断ち切られ、金管が入って3連符が宗教的な救済を暗示。
急速なフガートを弦が先導、管は第1楽章のモチーフを変容させて再現、最後、木管がコラールを繰り返し、金管の高らかなアレルヤで壮麗に結ばれる。
画家マティアスは試練と迷いの果てで芸術家としての確信に辿り着く。
画家マティアスは第2次大戦下のヒンデミットの化身と考えてもいいのではなかろうか。
〈参考資料〉
YouTube
ベートーヴェン 劇付随音楽《シュテファン王》序曲
指揮 河��聡
演奏 セントマーティン・オーケストラ
収録 2022/伊丹市
同《アテネの廃墟》序曲
指揮 クルト・マズア
演奏 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
収録 ?
モーツァルト ピアノ協奏曲第9番
指揮 門良一
ピアノ 木下千代
演奏 モーツァルト室内管弦楽団
収録 2020/いずみホール/第193回定期演奏会
CD
同
指揮・ピアノ アシュケナージ
演奏 フィルハーモニア管弦楽団
収録 ?
ヒンデミット 交響曲《画家マティス》
指揮 ウィリアム・スタインバーグ
演奏 ボストン響
収録 1971/ボストン・シンフォニーホール
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