5/14(水)、東京国立博物館で「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」展を観たあと、銀座線で浅草に出た。
目的は東浅草の正法寺にある蔦重の墓を訪ねる事だったが、トーハクの展示が予想以上に充実していたため、同寺の閉門に間に合わなくなってしまった。
展覧会レポートの�,任蓮∪桔〇�のHPから写真などを借用し、彼の墓に彫り込まれている出生にまつわる興味深い事柄について書いた。
正法寺の代わりに、浅草駅前から「めぐりん」バスに乗って北へ10分強、台東区橋場2丁目にある平賀源内(1728-79)の墓に行ってみる事とした。
蔦重より22歳年上だが、吉原細見『籬の花』の序文「細見 嗚呼御江戸」を書いた「福内鬼外」(ふくちきがい)が実は平賀源内であるから、出生地は讃岐と吉原で遠く離れているものの、2人は何らかつながりがあったと想像される。証拠となるようなものはないが。
蔦重展には「エレキテル」(1776製の本物/重要文化財)も展示されていた。
日本語訳するなら「摩擦式起電機」とでも。
下の写真が源内墓所正面の塀と門構え。
神田の町名主 斎藤月岑(1804-78)の『平賀実記』によると、1779(安永8)年11/21明け方、源内宅に止宿していた門人 神田久五郎及び友人 丈右衛門と口論となり、源内は2人を切りつけ、久五郎の方はその傷がもとで死んだとされる。
高松藩家老 木村黙老(1774-1856)の『聞まゝの記』によると、大名屋敷の修理を請負った際、酔った源内は修理計画書を盗まれたと勘違い、町人を殺傷したとされる。
原因は何れとも特定できないが、即日源内は小伝馬町に投獄され、同年12/18、破傷風により獄死したという。数え52歳。
遺体は橋場の曹洞宗寺院 総泉寺に葬られた、と現地にある台東区教育委員会が設置した説明板にはある。
墓は友人の蘭学者 杉田玄白(1733-1817)が私財を投じて建てたと伝えられる。(*)
事件が事件なので、晩年から死について様々な説があるようだが、ここでは深入りしない。
現地説明板の記述を続けると、総泉寺は1928(昭和3)年、区画整理のため板橋区小豆沢へ移転したが、地元有志の熱意で源内の墓はこの地に保存された。
したがって、ここは個別の寺の墓地ではない。
1943(昭和18)年には、国指定史跡となった。
先に掲げた写真の特徴的な筑地塀は、1929(昭和4)年、没後150年時に設立された「平賀源内先生顕彰会」の会長となった旧高松藩当主 松平頼壽(よりなが)らによって手がけられ、1931(昭和6)年に完成した由。
その後、2009(平成21)年には200年祭も行われている。
門を入ると「史蹟 平賀源内先生墓入口」の石碑。
その奥に、壁のない柱と瓦葺の小屋が見え、その中に角塔笠付の墓石が立っている。
墓石には「平賀源内墓 安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士」と彫られている。
その後方には隠れるように従僕福助の小さな墓もある。殉職かと思いきや…
正面に「鐵肝道舩禅定門 安永八己亥年四月廿七日」、右側面には「平賀源内家来 秋田産 俗名 福助」とある。
1779(安永8)年4/27という事は、平賀源内の8ヶ月前の死で、殉職ではなかった。
源内はゲイだったと言われていて、妻子はいない。歌舞伎役者二代目瀬川菊之丞との仲はよく知られていた。
1775(安永4)年には陰間茶屋ガイドブック『男色細見』を書いている。
(*)杉田玄白が源内の突然の死を悼んで記した碑文。1930(昭和5)年復元。
碑文最後の行にはこうある。書き下せば、
「嗟(アア)、非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行ヒ是レ非常、何ゾ非常ニ死スルヤ」。
末尾にある「杉田翼(たすく)」は本名。「玄白」は通称。「鷧斎(いさい)」は号。
広からぬ庭内には、これも源内没後150年時に建てられた松平頼壽による「平賀源内墓址修築之碑」もある。
源内の墓はさぬき市志度の自性院にもあるらしい。自性院は平賀家の菩提寺である。今も毎年12月に法要が営まれているそうだ。
源内の肖像画としては下図がよく知られているが、果たして信ずるに足るかどうか。
上端に書かれている「平賀鳩渓」は源内の雅号の一つ。
これが掲載されているのは前出の木村黙老著『戯作者考補遺』の明治時代になってからの写しである。(慶応大学所蔵)
黙老は源内没後66年経った1845年、源内をよく知る老人の話を元にこれを描いた。黙老自身の祖父も源内と親交があったと伝えられる。
肖像の懐から覗いている派手な物は源内が開発した金唐革紙入れ。
黙老は曲亭馬琴の『近世物之本江戸作者部類』と石塚豊芥子の『戯作者撰集』を増補し、戯作者の肖像画を加えて『戯作者考補遺』としたのだが、原本は既に失われ、この写本しか残っていない。
[参考]
「東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖 第一輯」に遺された1923年(関東大震災前)の写真。
総泉寺。
同寺内の平賀源内墓。当時小屋はなかった。
夕陽も傾いた頃、源内墓所を辞し、また「ぐるりん」に乗って浅草駅に戻った。
駅周辺を適当に物色、回転寿司をつまみに冷酒を呑む。
その後、予定より大分遅くなったが電車を乗り継いで南品川のTホテルにチェックイン。
上京1日目はここ迄。
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