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2025年04月30日21:53

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野島青茲と武原はん

昨4/29の日記で、奥浜名湖 気賀の老舗割烹 吉野家で開催中の野島青茲展を観に行った事に触れた。
すると、今朝4/30の中日新聞地方版に同展の記事が掲載されていた。

フォト


記事にもあるように、本展には舞踊家 武原はん(1903-98)の絵が何点か展示されていた。
野島青茲(1915-71)は12歳年上の武原の優美な舞姿を繰り返し描いた。

以下、武原はんの略歴。

1903(明治36)年2/4、徳島市篭屋町に生まれる。
1915(大正4)年、12歳で大阪の大和屋芸妓学校に入学。14歳で芸者になり、20歳迄大和屋で働く。
この間、三味線,囃子, 狂言,能,仕舞などの芸を学ぶ。
1931(昭和6)年、28歳で上京、藤間勘十郎らに師事しながら、上方舞を東京に根付かせるための尽力をする。
1939(昭和14)年、俳句を高浜虚子に師事、「はん女」の号を受ける。
1952(昭和27)年〜94(平成6)年の間、歌舞伎座,新橋演舞場,国立劇場で「武原はん舞の会」を開催し、多くの舞踊を発表。
1953年、随筆集『おはん』を創元社より出版。
1966(昭和41)年、芸術選奨文部大臣賞受賞。
1969(昭和44)年、紫綬褒章。
1985(昭和60)年、日本芸術院会員。
1988(昭和63)年、文化功労者となる。
1998(平成10)年2/5、95歳で没。

高峰秀子は自著の『わたしの渡世日記』に、谷崎潤一郎の紹介によって武原から地唄舞を学んだと書いている。

本展に出品された武原をモデルにした作品は以下の4点。
光が反射するなど、撮影は上手くいかなかったが、ご容赦頂きたい。

《雁金》
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《雪》素描
直接見えている部分と半透明の傘を通して見える部分の微妙な違いが素晴らしい。
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《舞》
背景の地の銀色は一色一様ではない。これによって作品に深みが表れている。
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《はん》素描
4点共制作時期不詳だが、武原の年齢が少しずつ違っているのが分かる。
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加えて、2016年に平野美術館で行われた野島青茲展のレポートのリンクを貼付しておく。野島の略歴はこちらを参照頂きたい。
・「野島青茲について付記」(2016.5.10記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952592382&owner_id=3341406

レポートに写真を掲示したが、この展覧会のチラシが、やはり武原をモデルにした作品だった。タイトルは《舞》、制作が1970年である事が分かっている。
これを描いた翌年、野島は心臓麻痺のため55歳で急逝した。
このモデルになった時、計算上、武原は67歳という事になる。
《舞》と上の4点が、どういう時系列で並ぶか、興味深いところだ。
 

このあと、冒頭の記事に掲載された、「浜松市 姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」を訪れ、吉野家との連携企画である「野島青茲展2025」を観る。
・会期 4/26〜6/8
 
展示作品は、吉野家17点、歴史民俗資料館9点。
 
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