(続き)
一方、栗山昌良の演出は、最近のオペラの動向、また私が過去に観た2つの《死の都》と比較すると、かなり静的な性格の強いものだった。
例えば、それは第2幕に強く表れている。
第1幕,第3幕はパウルの部屋が場で、そこは亡き妻マリーが支配する「死」の世界である。
対して第2幕で、パウルはブリュージュという都会に出ていく。そこではマリーに酷似する踊り子マリエッタがパウルを誘惑し、悪友仲間の男女が呑み騒ぎ遊ぶ「生」の世界である。
こうして全3幕は、第1幕「死」と「静」、第2幕「生」と「活力」または「快楽」、第3幕は再び第1幕の場に回帰するというコントラストで構成されている。
が、栗山の演出では、第2幕は山間の僻地で、背後には、パウルに愛想をつかした家政婦ブリギッタが入信しようとしている修道院がある。そこには都会の性格は与えられていない。
勿論、リブレットは替えられる訳もなく、踊り子やフリッツ、ガストンらが遊ぶのだが、全3幕のコントラストのメリハリはあまり効かなくなってしまった感がある。
第3幕ラスト、マリエッタ殺しが「夢オチ」であった事が分かり、パウルは友人フランクの誘いに従って、この家(つまり死への愛着)と別れ旅に出る決心をする。難しいピアニッシモのアリアを山本康寛は緊張を途切らせずに歌いきった。
ハープの伴奏に乗って長くフェルマータされるオーケストラの最終和音。
パウルが家を出ていき、その和音がようやく消えると、舞台は静まりかえり、暗くなりかけた部屋の最後の燭台を手にしたブリギッタが、舞台前面にゆっくりと静かに歩いてくる。
と照明がさっと消え、幕が下りてくる。
漂う「生」の空虚感、「喪失」の甘さ。
舞台から拍手はゆっくりと沸き起こり、そして次第にクレッシェンドして会場全体フォルテッシモとなり、歓声にも包まれた。
以下、その他スタッフ及びキャスト。
再演演出 岩田達宗
装置 松井るみ
照明 沢田祐二
衣裳 緒方規矩子
…緒方は今年2025年2/7、96歳で亡くなった。
栗山と緒方も参加した《死の都》プランナー会議(2013.12.9)の写真がホワイエに掲示されていた。
フランク 黒田祐貴/池内響(Br)
ブリギッタ 八木寿子/山下牧子(Ms)
フリッツ(ピエロ) 晴雅彦/迎肇聡(Br)
他
公演後の舞台挨拶の1ショット。
左からパウル 山本康寛,マリエッタ 木下美穂子, フリッツ(ピエロ) 迎肇聡。
マリエッタの衣装はほぼ緒方が描いた絵の通り。拡大して見ると、絵の右上には「日傘」「帽子」など、緒方のメモがある。
木下美穂子の歌唱と演技は第1幕の官能的な〈マリエッタの歌〉だけでなく、素晴らしい情感表現で聴衆を惹きつけた。第1幕冒頭、高音域にやや落ち着きを欠いた山本康寛も、木下の伸び伸びした表現に助けられた。
木下は2013年の「ニューイヤーオペラコンサート」で既に〈マリエッタの歌〉を歌っていた。その頃は、まだ日本では一般にコルンゴルトの名も《死の都》も知られていなかった。イタリアオペラの印象が強い彼女だったが、いつかこのマリエッタ役をやりたいと、強い思いを抱いていたのだろう。
びわ湖ホールは1998年の開館来「創造する劇場」を標榜し、国内外において第一線で活躍するキャスト・スタッフを集め、「びわ湖ホールプロデュースオペラ」を創出し世界に発信してきた。今回の《死の都》もその位置付けである。
今後もそのコンセプトを枉げず、独創的な仕事を続けていって欲しいと思う。
チャンスがあれば、また是非「びわ湖ホール」に戻ってきたい。
これで今回の京滋小旅行は全行程を終えた。
オペラ終演後、一旦京都駅へ戻って夕食をとり、ひかりに乗って浜松に帰ってきた。駅前から最終の循環バスに乗り、無事家に着いたのは24:00少し前。
少々疲れたが、内容の詰まった幸せな旅になった。
長いレポートになりましたけれども、お読み頂いた皆さまには、お礼申し上げます。
ありがとうございました。
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