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2025年03月05日11:00

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「松本竣介 街と人」/大山崎山荘美術館��

(続き)

1時間半に及ぶ興味深い講演のあと、田中淳は、「実は…」と笑って言った、
「ここに松本竣介の次男 莞さんが来て下さっているのです。それで、今日はあまりプライベートに及ぶ事は話しませんでした」。
私も、会場中の聴講者も驚いた。
松本莞はこの2025年1月、『父、松本竣介』なる書をみすず書房から出したばかり。
1番前の列にいた莞は、田中に促されて立ち上がり、聴講者達の方を振り向き、挨拶された。
竣介は、子供の像をたくさん描いている。本展の第5章にも「少年像」というパートがある。(*2)
一般的な子供も描いたし、自分の子供も描いた。どれも優しさに満ち溢れて魅力的だ。
《コップを持つ子ども》(1942)は、ただ「子ども」となっているが、莞にはその面影がある。
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竣介は、長男・長女を幼いうちに失くしている。1937年、竣介が25歳の4/4、長男 晉は早産で生まれ、翌日亡くなった。
長女 洋子は、1945年、35歳の年の4月に生まれ、1947年10月に尿毒症によって亡くなった。
莞は次男で、長兄と妹の間で、1939年、27歳の年の7/13に生まれた。
そして、長女が死んだ翌年1948年2月、次女 京子が生まれた。

下の写真は竣介と莞。
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1940年とのデータがあり、計算上、竣介28歳、莞1歳という事になるだろう。
粒子の粗い写真だが、《コップを持つ子ども》はこの写真の莞によく似ている。

空襲が激しくなった1945年3月、妻 禎子と莞は松江に疎開。
家族を呼び戻したのは1947年1月になってからである。
その間、竣介は莞(綽名「カンボー」)宛、幾度も絵入りでカタカナ書きの手紙を書いている。
竣介の子どもを描いた作品には、愛情と寂しさが共存している。

1月に出版されたばかりの莞氏の書を、当日、特別にサイン入りで販売するとアナウンスされ、私は即、購入の列に並んだ。4,400円。

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ついこの前、森鴎外の長男 於菟が書いた『父親としての森鴎外』を読んだばかり。子による父の記憶という同じスタンスのこの書も、しみじみと味わえるのではないか、と、勝手に思った次第である。

講演が終わったのは15:00過ぎ。私は、それから大山崎山荘美術館へと向かった。
15〜16分で着くとの事だったので、駅から無料の送迎バスがあるとも聞いたが、歩く事にした。
だが、この判断は間違いだった。
距離は確かにそれくらいだったのかもしれないが、天王山の坂道は予想外にきついものだった。

以下、美術館入り口と庭の写真。

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 (*2)本展のチャプター構成を下に記しておく。

・第1章 自画像
…竣介は短い生涯で、自画像を何度も描いた。
下は28歳の年の《顔(自画像)》(1940)。画家であり思索者の顔でもある。

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・第2章 都会/郊外
…冒頭に掲示したチラシの作品《街》(1938)を含む。

・第3章 建物
…大川栄二が初めて購入した作品《ニコライ堂の横の道》(1941)を含む。
松本莞の『父、松本竣介』の表紙絵は《Y市の橋》(1944)。
舟越保武は竣介の風景画を「都会の哀愁」「たしかな構築の上にただよう詩情がある」と称した。

・第4章 女性像
…《読書をする婦人》(1941)

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・第5章 少年像
…《コップを持つ子ども》(1942)を含む。

・第6章 構図
…絶筆《建物(青)》(1948)。

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真っ黒な入り口は、覚悟した死のようにも見える。

戦後の竣介は革新的な表現も模索し始めていたが、彼の短か過ぎる生涯には充分な時間はなかった。
 
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