(続き)
今回のレポート�,遼粗�に貼付したリンク(*1)の文章で少し触れているが、1908(明治41)年4月、祖母 峰(林太郎の母)に連れられた18歳の森於菟は、現 滋賀県甲賀市土山の常明寺で、旅の途中亡くなった曾祖父 森白仙の墓参後、事前連絡をせずに磐田の赤松邸を訪れ、初めて祖父 則良(母登志子の父)と感動的な対面をする。
於菟著『父親としての森鴎外』(1969)中の「長谷の一夜」には、その続きがあり、登志子の子 美代子(12歳)の初見印象について書かれている。
「その晩二階に宿めて頂いてそのあくる朝であった。お祖母さま(註;則良の妻 貞)は二階の藤棚を見おろす縁先の手すりの所へお前(註;美代子、即ち母を同じくする於菟の妹)を連れて来られた。「まことに気の弱い子で」と言われたお前はオドオドした色の黒い田舎の少女としか私の眼には映らなかった。昔は勝気であった私の祖母(峰)はその頃、もうすっかり気が弱くなっていて、お前をジッと見た眼は溢れるばかりに涙ぐんでいた。そして黙って私の手とお前の手を手すりの上に重ねた。私は今でもその時の光景を眼の前に浮かべる事ができる。」
◆美代子写真1,2,3
下の写真は、この出会いの前年1907(明治40)年、美代子(左)と則良の十女(*3)浪江(右)のショット。場所は書かれていないが、磐田の赤松邸の庭か。
美代子にとって浪江は母の妹、叔母に当たるが、計算してみると、美代子10〜11歳、浪江13歳、年齢は極く近い。
(*3)則良と貞は、17人(男7人女10人)の子だくさんだった。
以下3枚は何れも1909(明治42)年3月、磐田の赤松邸で撮られた写真。
3/1正午、赤松邸内で病床に座す則良(67歳)と看病する美代子(12歳)。
赤松家内の回覧冊子「公木」(*4)によると、則良は帝国議会閉会後、磐田に帰った翌日2/13に熱を出して寝込んだ。風邪だったようだ。2/28には長男 範一が見舞いに来て、その2日前くらいから回復の兆しが見あり、食欲も出てきた由。
この写真は範一が撮った。
(*4)「公木」は赤松の「松」の字を分解した由。則良は意外にユーモアのセンスのある人だったようだ。
同じ3/1、赤松邸内、15畳の表書院で、範一によって撮られたもの。
祖母 貞(53〜54歳)と美代子。以下も「公木」より引用。
美代子「おばあさま、おばあさま。叔父様(範一)がお座敷の写真をお撮り遊ばすのに、人がいなくっては、さびしいからおばあさまにいらっしゃってくださいと・・・。おばあさま、早く早く。」
美代子「おばあさま、その座布団へお座りあそばせ。私はここへ座りますの・・・。えっ、叔父様、これ、私でよくって?!」
美代子のあどけなさが、言葉使いによく表れている。
◆範一写真
3/3、赤松邸応接間にて。撮影者は美代子。
範一が写真裏にこうメモしている、
「・・・、六角形の卓袱台(しっぽくだい)には、欧州製のテーブルが少々裄(ゆき)短かに掛けられて、陶、銅、唐木製、様々の火鉢がよろしく配置され、・・・。西日を浴びてちょっと座った所でピントを合せ、美代子にシャッターを握ってもらった結果がこれ」。
のち、範一も父を継いで男爵となり、貴族院議員となった。こちらは1932(昭和7)年の当選證書。
時間が前後するが、先に書いた、峰と於菟が磐田の赤松邸を訪問したあと、同じ1908(明治41)年のうちだと思われるが、於菟は母 登志子の墓詣をしている。
「それは私の家にほど近い駒込の吉祥寺で墓は赤松家の墓地の一隅に建てられてあった。私には不幸な生母の、後の夫の菩提寺にも送られず一人の幼児(それは私が見付(磐田)で会った少女の兄馨三)とともに実家の墓地に寂しく埋められているのを一しおあわれに思った。」(『父親としての森鴎外』より)
母の遺骨が、再婚相手の宮下家の墓に入れられなかった理由は分からない。
駒込・吉祥寺の赤松家代々の墓はレンガ造りの大きなドーム型で、よく目立つ。
この区画の隅に登志子と夭逝した長男馨三の墓は建立されていたのである。
その後、美代子が母と同じ結核で1917(大正6)年8/28、鎌倉にある宮下家の別荘で亡くなる。僅か21歳だった。
美代子の遺骨も、宮下家でなく、駒込・吉祥寺の母の墓の下に埋葬された。
そのおり、墓は建て替えられ、美代子の名も石に彫り込まれたようだ。
右から登志子「大鏡院殿月山登光大姉」、馨三「梅王褌倹(?)子」、美代子「晴光王蓮妙莝(?)大姉」。
それぞれの没年月日。
展示された古い写真をガラス越しにスマホで撮影しているので、写りの悪いものが多いのはご容赦頂きたい。
次回上京したおりには、是非駒込の吉祥寺を訪ねてみたいと思っている。
今年は全般的に春の花が遅いが、2/22日、旧赤松家記念館入り口の白梅は8割がた満開だった。
則良の半身像を入れて撮ってみた。
[参考資料]
『父親としての森鴎外』(筑摩叢書159)
執筆 森於菟
発行 1969年12月、筑摩書房初版第1冊発行
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