2024年11月6日にNHK-Eテレが再放送した「最後の講義 選」『生物学者 福岡伸一』を観る。
初回放送は2020年3月19日。(2018年8月18日と表記している資料もあり。)
収録は福岡が2004年から教授を務めている青山学院大学の講義室。100名超の学生が集まった。
福岡伸一(1959- )は学生達の前で開口一番、今日私は生命の事、生物の事を話すが、結論は「Viva 生物」「Viva 生命」という事だ、と、種明かしする。
「生命とは何か?」福岡はそれに3つの角度から迫る。
[1]生命は機械ではない、生命は流れだ。
[2]1年前の自分は別人である(物質レベルでは)。
[3]命に刃を向けた人間。
◆[1] 生命は機械ではない、生命は流れだ。
少年時代より「虫オタク」で大学では「昆虫学者」を目指した。
それに導いたのは、小学生の時両親が買い与えてくれた顕微鏡だった。
顕微鏡を始めて作ったのは、350年も前、日本では江戸時代が始まったばかりの1600年代、オランダのアントニー・van・レーウェンフック(1632-1723)。高等教育も受けていない単なる一市民だった。
1980年代、大学に入って知ったのは、昆虫学では駆除目的の研究しかしていない事だった。
落胆した福岡は大学で「分子生物学」に出合う。自然界の虫を探す事から人間の体内に新しい虫を探す事になった。
「昆虫少年」はこうして「遺伝子ハンター」になったのである。
1990年代始め、福岡は新しい遺伝子を発見。「GP2」と名付けられた。その遺伝子については何も知られていなかったので、役割研究から始めた。
まずGP2を取り除いたマウスを人工的に作りだした。マウスの生命は約2年間。そのマウスにどんな異常が起こるか、育成実験をした。これによりGP2の役割が分かる筈。
3年の月日と資金を投入したが、その機能は全く分からなかった。他のマウスと、GP2抜きのマウスは全然変わらない。異常は起こらず、病気にもならず、早死にもしなかった。
福岡は昔読んだ論文を思いだした。
70年程前に活躍したルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)が言った言葉「生命は機械ではない、生命は流れだ」。彼は43歳で自殺した、その原因は分かっていない。短い生涯だったため、科学史からは殆ど消えてしまった。
福岡は生命を機械のように扱った実験を反省した。
しかし、生物学は生命を機械のように見る機械論で発達してきた。例えば「ヒトゲノム計画」はまさにその典型だ。
人間を解体し分解し、細かな部品の集合体として人間の生命を見る。遂に全ての遺伝子を解明したが、映画のエンドロールを見るように、登場人物は分かったものの、1人1人の役割は分からない。
生命にどんなドラマが起きているのか、シェーンハイマーはそれを解き明かそうとした一人だった。
生命なるものは、毎日毎日食べ物を食べ続けなければいけない存在だ。
どうして我々は毎日食事をし続けなければならないか?
19世紀からその答えははっきりしていた、食べ物と生物の関係は、自動車とガソリンの関係に置き換えられて説明される。
食べ物は体内で燃やされ、熱エネルギーが生みだされ、動物の体温になる。全部燃やされてしまうと、新しいエネルギー源が要るので、また食べる。
シェーンハイマーはそれをしっかり確かめようとした。
結果、異様な事が起きていた。
食べた物は翌日「便」として出ていく。これは何か?食べた物が出るのではない。
◆[2]1年前の自分は別人である(物質レベルでは)。
食べ物を原子の単位でマーキングすれば、その行方が分かる。シェーンハイマーはその方法を確立した。
マウスで実験をしてみると、食べた物の半分以上は燃やされる事なく、マウスの体の全身に溶け込んで身体の一部に成り代わっていく事が分かった。
ガソリンと車の譬えから言うと、ガソリンはタイヤの一部になったり、ハンドルの一部になったり、ネジの一部になったりするという事だ。
食べた物は体内でどんどん作り替えられ、身体の一部に交換されていく。爪や皮膚や髪はイメージが湧くが、体のあらゆる部分が例外なく入れ替わっているという事実には驚いた。骨や歯も同様である。脳も細胞の中身は入れ替わっていっている。
「生命は絶えず作り替えられ、交換されている。」
便の主成分は食べかすではない。どんどん捨てられていく自分自身の身体の細胞、それが便の実態で、捨てられて足りなくなった部分には、食べた物から新しい細胞が生成されていくのだ。
したがって、1年前の私と今日の私では、物質的にはほぼ別人になっている。殆ど入れ替わっていると言って過言でない。
だから、1年前の私が言った事は別人が言った事で、約束など守らなくてもいい。(笑)
人間の体というのは「固体」だと皆思っているが、長い時間軸で見てみると「流体」である。絶え間なく流れている。
では、我々の体が、去年の私と今年の私とで全く入れ替わっているのに、記憶は何故保存されているのか、不思議だ。細胞と伴に失われてしまう筈ではないか?
「何故記憶は消えないか?」
記憶というのは脳の中にビデオテープの如く保存されていて、それが必要時に読みだされるのでなく、神経細胞(ニューロン)回路網として保存されており、そこに電気が通ると記憶が甦るという仕組みである。
山手線を思いだして欲しい。
山手線は、100年くらい前に造営された路線だが、駅も線路も細胞はどんどん造り替えられている。でも山手線は山手線。駅と駅の関係は基本的に変わっていない、渋谷の次は原宿で、原宿の次は代々木。物は替わっているが、物と物の関係は変わらない、だから記憶は簡単には消えない。
2011年、福岡は理系の研究室を閉じた。ミクロの世界の生命の研究をやめ、文系の教授になった。
少年時代に心躍らせた生命。機械とは異なる生命の本質を探究し、理系・文系を超えて分け隔てなく伝えようとしている。
福岡のキーワードは「動的平衡」。
シェーンハイマーのコンセプトを日本語では「動的平衡」と呼ぶ。
「動的」というのは常に動いているという事。「平衡」というのはバランスという意味。
「生命は絶え間のない流れの中で合成と分解がバランスをとっている」、というのが我々の身体の一番大事な特性だ。
常に動的平衡が成り立っているから、私達の体の中は何かが不足しても、他のものがピンチヒッターになったり、バランスを取り直したりする事ができる。
GP2欠損マウスに何も問題が起きなかったのは、なければないなりにそれを補う仕組みを作り、生物は新しいバランスを作り直してきたという訳だ。
ノーベル賞を受賞した大隅良典教授の研究を始めとして、21世紀に入ると、生命が分解される仕組みが分かってきた。
「分解」、即ち「自分自身を壊す」仕組みだ。
「なぜ生命は、自分を壊す必要があるのか?」
単純に言えばエントロピー増大の法則に戦うためと言えばいいだろう。
「エントロピー増大の法則」というのは、宇宙の大原則として「秩序のあるものは秩序のない方向にしか動かない」という原理だ。
どんなに壮麗に建築物を造っても月日と伴にだんだん風化していく。
でも生命だけは、38億年も連綿として永らえてきた。
何故生命だけが「エントロピー増大の法則」に逆らって持続してきたかというと、頑丈に作るという事を最初から諦め、ゆるゆるに自分自身を作っておき、「エントロピー増大の法則」が襲ってくるよりも先に自分自身を積極的に壊し、秩序を守り続けてきたのである。
しかし、「積極的に自身を壊し、作り替えを続けていくのなら、なぜ老けるのか?」
我々の体がリニューアルされ続けているのを前提とすると、どうして「老化」していくのか奇妙だ。それは、完全なリニューアルができないからである。
例えば、日頃掃除をしても部屋の隅に埃は少し残る。細胞内の作り替えを進めても、少しずつ酸化物や老廃物は残ってしまう。
そうした物の僅かな蓄積の持続が「老化」という事になる。
(続く)
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