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2024年09月27日21:28

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M・グラッドウェル著『ボマーマフィアと東京大空襲』

ノンフィクション作家・ジャーナリストのマルコム・グラッドウェル(1963- )が著した『ボマーマフィアと東京大空襲』を読む。副題「精密爆撃の理想はなぜ潰えたか」。

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グラッドウェルは英国生まれ、カナダで育ち、現在は米国ニューヨークに住む。
本書は2021年に刊行され、米国内でベストセラーとなった。
日本版は翌2022年、光文社発行。翻訳 櫻井祐子。

米国で第二次世界大戦を扱った書は数えきれない。中で、原爆については多くの本が出されたが、東京大空襲については注意を払われてこなかった。
しかし、東京大空襲は1晩で10万人を超す死者を出すという甚大なものだった。
本書は、米国人により、史実を踏まえて書かれた殆ど初めての東京大空襲についての書である。
グラッドウェルを突き動かしたのは、2019年の来日時に訪れた東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」だったそうだ。

彼の興味は、何故このような膨大で且つ無差別な攻撃が行われたのか、その経緯にあった。
それを立体的に語るのに、彼は2人の米軍司令官を軸に据えた、ヘイウッド・ハンセル(1903-88)とカーティス・ルメイ(1906-90)である。
前者は精密爆撃による「きれいな戦争」を追求、後者は戦果のためには冷酷な戦術を厭わない人物だった。

先に第一次世界大戦(1914-18)について触れておかねばならせない。この戦争は初めて世界規模で行われ、近代文明によって開発された様々な兵器によって3,700万人もの死傷者・行方不明者を生みだした。その中には多くの一般市民、つまり兵士以外の人達がいた。
第一次大戦は、また、初めて航空機が武器として使用された機会でもあった。それはまだ木製部分の多い代物だったが、航空機の操縦を経験した兵士達の中には、今後これが戦争の主たる道具になると信じた人達がいた。
極く一部ではあったが、彼等は、航空機によって「壊滅的で無駄で無意味な地上戦をなくすことができる」と考えた。
その後、航空戦術のリーダーとなった彼らの事を「ボマー(爆撃機)マフィア」と呼ぶようになる。

カール・ノルデン(1880-1965)というオランダ人がいた。スイス連邦工科大学チューリヒで工学博士を取っていた彼は、1920年代に爆撃機用照準器の研究を始め、のち、彼の名を冠した照準器が生まれる事になる。
「ノルデン爆撃照準器は上空9,000mから漬物樽に爆弾を落とせる」と彼は主張した。
その言葉は、理想を追うボマーマフィア達を心酔させた。
彼の照準器が実用化され、「チョークポイント(戦略的急所)」に使えば(*1)、「軍隊はもはや必要ではなくなる。若者を戦場で死なせ、都市全体を荒廃させる必要もなくなる。戦争のあり方を一変させることができる。精密に、迅速に、ほとんど無血で戦争を終わらせることができる」と。

 (*1)例えば、ドイツ・シュヴァィンフルトのボールベアリング工場や、日本各地にあった中島飛行機工場等が該当し、それらを潰せば、両国は戦争の遂行が困難になると考えたのである。

しかし、現代ならいざ知らず、コンピューターもない時代に、この照準器の現実的使用は極めて難しかった。大きな振動を伴ないながら時速800kmで9,000mの高度を飛ぶ飛行機が、様々な気候状況の中で地上の何かを狙うには、到達時間30秒間に受ける影響も含め、様々な変数を計算し入力してやる必要があった。

1944年、サイパン、テニアン、グアムを日本軍から奪い返した米軍は、(ボマーマフィアのリーダー)ハンセルを指揮官として派遣し、すぐさま滑走路を造らせた。
開発が終わったばかりのB29、100機超はノルデン照準器を搭載し、日本を射程圏内に置いた。
ハンセルは、対空砲火が届かない高度1万mから、日本の軍用飛行機工場を爆撃する戦略を立てた。対空砲が届かないのだから真昼に飛ばして何の問題もない。昼ならば爆撃対象の工場も人の眼で確認できる筈。
しかし、太平洋西南部の海域の気候は、しばしばB29の離陸を拒んだ。また、離陸できても、日本上空の時速300km以上にも達するジェット気流は、その時まだ欧米に認知されておらず、照準器の計算外だった。数回に及ぶB29の出撃は、殆ど成果を上げなかったどころか、太平洋に墜落してしまう機も出た。
本国は、じれて、ナパーム弾(日本家屋向けに新たに開発された能力の高い焼夷弾)(*2)を送りこんできた。
だが、ナパーム弾は無差別爆撃用であって、高精度照準器で最低減の対象を破壊する戦争を理想としていたボマーマフィアのハンセルとは相容れなかった。

 (*2)米軍は、1942年、障子や雨戸・畳等々日本家屋を模した24戸の木造建築物をマサーチューセッツ州ケンブリッジにわざわざ再現し、燃え盛る粘着性ゲルの塊を飛び散らせる新開発のナパーム弾の効果を実証実験している。これによると、ロンドン市内でのナパーム弾の可燃率は15%なのに対し、大阪中心部では80%の効果を上げると試算された。

1945年1月、遂にローリス・ノースタッド将軍がワシントンからグアムに乗り込んできて、ハンセルを解任、後任にルメイを指名した。
ルメイは、夜間に、高度2,000mからナパーム弾を落とす無差別爆撃を選択した。
2,000mという低空は、対空砲火を浴びる危険性があったが、無差別爆撃だから、照準器の不備を計算に入れる必要がない、そうルメイは考えた。
彼は、しかも、ナパーム弾を目いっぱいB29に載せるため、尾部以外の銃を全部撤去させ、射手も弾薬も置いて行かせる事にした。
これが成功すれば、日本の市民は戦意を喪失(*3)し、終戦を早め、犠牲者を減らす事ができる、と自分に言い聞かせた。

 (*3)ナチスはロンドンの無差別空襲を続けたが、ロンドン子は戦意を喪失するどころか、復讐心を高揚させた事が調査で分かっている。
にもかかわらず、体制を立て直した英国軍は美しいドレスデンの街を無差別攻撃した。戦争は矛盾の繰り返しである。
2022年に始まったウクライナ侵略戦争でも、ロシアは女性や子供を含む無差別攻撃を繰り返している。しかし、ウクライナの人々は戦意を喪失せず、反撃をやめない。

1945年3/9、グアム、テニアン、サイパンから合計300機を超えるB29が一斉に飛びたった。
真夜中過ぎに東京上空に高度1,500mで入ったB29は、日本軍の不意を突いて対空砲火を受けず、墨田川を挟む約41平方kmの地域に1,665 tにも及ぶナパーム弾をばらまいた。この辺りは工業と商業の地区で、主に労働者階級が住む貧相な木製住宅が並ぶ、当時世界で最も人口密度の高い地域だとルメイは認識していた。
結果、この辺りの全てが焼け野が原となり、10万超の人々が死んだ。

ルメイは自身の判断で、この作戦を続け、終戦迄の6ヶ月間で日本の67都市を焼き払ったのである。
このルメイに、戦後1964年、日本政府は勲一等旭日大綬章を授与している。
時の首相は、佐藤栄作。


本書の著者グラッドウェルは、史実を丹念に調査し、偏らないバランスの取れた視点で東京大空襲を見つめている。日本人にも新たに知るところ大である。
 
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