9/18(水)のNHK-BS「クラシック倶楽部」はトリオ・ヴァンダラー演奏会の収録を放送した。
この2024年6/28に東京・紀尾井ホールで行われたもので、「ピアノ・トリオ・フェスティヴァル2024」の冒頭「�機廚鮠�った。「�供廚�10/3に葵トリオ、「�掘廚詫菁�2/13に金川真弓・佐藤春真・久末航トリオが当たる。
「トリオ・ヴァンダラー」の「ヴァンダラー」は「さすらい人」の意で、シューベルトへのオマージュから名づけられた。
パリ国立高等音楽院在籍中の1987年に結成、翌1988年にはミュンヘン国際音楽コンクールで最高位の2位、1990年にはフィショフ室内楽コンクールで1位、以来現在に至る迄、世界のピアノ・トリオを牽引している。
レパートリーは古典から現代迄膨大で、世界の最も権威のある様々なホールで演奏し、CD収録も多数、世界初演にも積極的に取り組んでいる。
メンバーは以下の通り。
・ピアノ;ヴァンサン・コック
・ヴァイオリン;ジャン=マルク・フィリップ=ヴァルジャベディアン
・チェロ;ラファエル・ピドゥ
彼等の演奏は精緻を極めるという方向でなく、それぞれの個性を活かし、音楽が活力に満ちていた。
練習の時はお互いを尊重し意見を戦わせる事もある、と、メンバーはインタビューで言っていた。
全体の中で均衡を取りながら、それぞれが自分を充分に表現できる。名手ばかりでもチームワークが悪ければうまくいかないし、没個性の人達が集まってもだめ、とも。
行く手を予め定めない「さすらい人」の名の意味は、この辺りにあるように思えた。
驚いた事に、当夜は、葵トリオのピアノ秋元孝介が譜めくり役をやっていた!
気がついた人もいるだろうか。
〈プログラム〉
・ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op8
・シューベルト ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 D.929
放送では時間の制約のため、シューベルトは第2楽章のみの放送となった。
ブラームスは1889年(56歳)改訂版の演奏が一般的だが、当夜は1854年(21歳)の初版を使用した。これはかなり珍しい。私も初めて聴いた。
コック(Pf)はインタビューに、その理由をこう答えている。
…名曲にも関わらず、初版は演奏機会が稀で、世に知られていない。
ブラームスは唯一この曲で2つの版を残した。改訂があった場合、先の版は破棄するがブラームスのやりかただが。
シューマンの妻クララに恋心を抱いていた頃(*)の作曲のため、クララへの愛の仄めかしが多く見られる。例えば、ベートーヴェンの歌曲からの引用等、明らかにクララへの愛の告白だと言えるが、35年ものちの改訂版でその引用は除かれた。…
(*私註)ブラームス(1833-97)がシューマン(1810-56)を訪れたのは1853年、20歳そこそこ。その5ヶ月後には、精神疾患が亢進したシューマンはライン川に投身自殺を図っている。亡くなったのは3年後の1856年。
続いてピドゥ(Vc)、
…初版には19世紀半ばの興味深い時代、ロマン派の要素が詰まっている。統一感は改訂版に劣り、途中で道に迷っている感じもするが、恋心と夢想に溢れている。その部分は、心の声を奏でるかのようにチェロが活躍する。…
フィリップ=ヴァルジャベディアン(Vn)は、
…ブラームスの2つの異なる側面を見る気がする。この曲を書いた時ブラームスはまだ21歳、多感でアイデアに満ちた若者が想像できる。最終楽章は、まるで羽目を外して疾走するリストのようだ。
改訂版は初版とはかなり違うと言われるが、各楽章の第一主題は変わりない。生真面目で几帳面なブラームス像が改訂版には現れている。改訂版が美しいのは当然だし、完璧で申し分ないが、一方、初版は完璧でないその点こそが面白いと思う。…
改訂は、第2楽章こそ極く僅かだが、残りの第1,3,4楽章、何れも第2主題を書き換えている。
音楽の場合、前後(場合によって楽章を越える)展開の関係等、改訂は複雑で、単に切り貼りするような作業ではない。新たに作曲する程の発想やアイデアが必要となったろう。
初版でベートーヴェンの歌曲を引用したのは第4楽章。
アレグロ・モルト・アジタートだったが、改定版は単にアレグロとされた。
3/4拍子、ロ短調は変わらない。
引用されたベートーヴェンの曲は、連作歌曲《遥かなる恋人へ寄す》Op.98(1816)のラスト第6曲〈この曲を受けとって〉。
アンダンテ・コン・モト・カンタービレ、2/4〜3/4拍子、変ホ長調。
ベートーヴェン(1770-1827)の死後、彼の抽斗から「不滅の恋人」宛の(投函されなかった)手紙が発見されたが、その「不滅の恋人」とこの歌曲の「遥かなる恋人」は同一人物ではないかと言われている。
手紙の日付は1812年7/6、相手は多くの候補の中からアントニー・ブレンターノ(1780-1869)またはヨゼフィーネ・ブルンスヴィック(1779-1821)の何れかと考えられるようになった。
《遥かなる恋人へ寄す》の作詞者は若い詩人で医師でもあったアイロス・ヤイテス(1794-1858)。
ベートーヴェンがヤイテレスの戦争負傷者に慈善活動を行った事に対するお礼として詩が送られたと言われている。
《遥かなる恋人へ寄す》が作曲された1816年は、ナポレオン戦争を裁いたウィーン会議(1814-15)のあとの「ビーダーマイヤー文化」時代(~1948)の入り口である。ウィーン市民文化は変容していく。
日本語訳はこんな感じ。
・・・
受けとっておくれ、これらの歌を、
恋人よ、夕べにもう一度、あなたのために歌ったこれらの歌を、
リュートの甘い響きに合わせて歌っておくれ。
やがて黄昏の茜色が、穏やかな青い湖に映え、
その最後の光が、あの山の頂の背後に隠れて燃え尽きる時、
僕が満ち溢れる胸の底から歌った歌、
ひたすら憧れに燃え立ちながら何も飾ることなく歌った歌を、
あなたが歌うなら、
そのとき、歌は消し去ってくれる、
私たちを遥かに隔てるものを。
そして、愛する心は届く、愛する心が捧げる者のもとに。
(最後の節はリフレイン)
・・・
21歳のブラームスは、このメロディを、ピアノ三重奏第1番第4楽章のロンド主題のあとの第2主題とした。
この歌が”2人”の間を隔つものを消し去ってくれる、そう彼は密かに願った事だろう。だが、それが叶う訳もない事を知ってもいた。
ベートーヴェンもそれは知っていた。だから手紙は投函しなかった。
ただ甘いだけでなく、切なさや苦み、そして慰めが歌のあとに残るのはそのせいだろう。
ベートーヴェン自身もこの歌曲を愛し、メロディをピアノ・ソナタ第30番Op.109の第3楽章の主題に用いた。
シューマンもピアノのための幻想曲Op.17の第1楽章に引用している。
さて、では、ブラームスがピアノ三重奏曲第1番を改定した1889年(56歳)はどんな年だったろうか。
この頃、ブラームスは自身の能力の限界と老いを自覚し始めた。
完璧主義者であるブラームスは、新作への意欲が薄まり、一方、若書きのピアノ三重奏曲第1番には完成度という観点で不満を抱き続けていたのかもしれない。
しかし、大幅な改定したにも関わらず破棄しなかったのは、曲成立の背景を含め、初版に愛着があったのだろう。
翌1890年には、作曲活動を断念し、遺書を書いて、手稿の類の整理を始めた。
こののち、作曲に復活し、1891年にはクラリネット五重奏曲ロ短調Op.115等、名曲も書くが、数は減り、大曲・オーケストラ作品は作っていない。
最晩年、クララが1896年に76歳で死去すると、ブラームスは翌1897年、63歳で、あとを追うかのように亡くなった。
〈参考資料〉
CD ブラームス ピアノ三重奏曲 他
演奏 A・ルービンシュタイン,H・シェリング,P・フルニエ
収録 1972年/ジュネーヴ
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