(続き)
◆5.「「私」の再定義」
このチャプターの解説は難しい。本展前に薮前知子(担当MOT学芸員)が行った高橋龍太郎へのインタビューから、彼の脳内を探ってみたい。
…東日本大震災のあと、自分の中に、人間の持っている力技みたいなもの(*)だけを追いかけていて何かリアリティがあるのかな、という気持ちが芽生えてきた。そんな時、そうした作品から少し距離をとっているグラフィティやドローイングが現れてきた。あるいは村山悟郎みたいに人間の基本動作そのものをペインティングにするとか、岡��乾二郎みたいに無意識の世界から何かを掬いだそうするような動きとか、また、ネット環境も含めて自分達が窺い知れない世界から引き摺りだしてきたものを提示するとか。むしろ自分を消していくことで何か新しい表現を生みだしている作家の作品にリアリティを感じるようになってきた。後付けではあるのだが、自分のコレクションイメージが変わってきているんじゃないか、そう思うようになっている。
私は元々世界の(美の)理想がここにある!というようなアートを集めているつもりはない。今、日本に生きていて、この時代に生きているリアリティをアート作品から感じたい。だから(欧米の名画に食指を拡げることもなく)、今日の日本の作家達に拘っている。…
(*)明確なメッセージやダイナミックなイメージを示す作品。
・村山悟郎(1983- )《学習的ドリフト あなたがこの作品を観る順序を、わたしは制作の手順としてつくりなおす》(2014) 2連作
全図と部分アップ。
・岡��乾二郎(1955- ) Αἰνείας Liber シリーズ(2016) 18連作
左グループと右グループ。
以下の2点は、リスト上はチャプター5に含まれているのだが、他と分離しミュージアムショップ脇のホワイエにサテライト展示されていた。
・名和晃平(1975- )《PixCell-Lion》(2015)
「PixCell」は画素のpixelと細胞のcellを合体させた名和の造語。
不規則に並ぶ透明球が、感覚と物質をインターフェイスする「表皮」の役割を担う。
・蜷川実花(1972- )《Untitled》(2018)
作品集《noir》(2010)より選ばれた16点を使用。蜷川のテーマは「人工的なもの」と「人の欲望」。
全体と分部アップ。
◆6.「路上に還る」
路上から世界を見て制作する作家達の作品。
高橋龍太郎は青春時代、学生運動に身を投じた。路上で発見した記号の断片を、肉体を通して再配置し、新たな言語を創りだそうとする動向へシンパシーを感じているらしい。
・金氏鉄平(かねうじてっぺい/1978- )《建物のようにつみあげたもの#21》(2012),《Grey Puddle#13》(2014)
・涌井智仁(わくいともひと/1990- )《夢の隙間》(2023)
涌井は廃棄物処分場とゴミの埋立地である夢の島の写真や動画を生成AIに学習させ、AIが出力した映像と、涌井が作った映像や音楽をコラージュ、短冊状のモニターに映し出している。
隙間からは、うしろのモニターが見える。そこには埋立地の監視カメラ映像とテキストが表示されている。
涌井は、埋立地を消費社会の果ての地と捉え、人間や機械が生みだすものの栄枯盛衰、資本主義が描くユートピアとその裏に隠された矛盾を表現する。
・篠原有司男(1932- )《89才のパンチ》(2021)
最後に時代が逆回りするが、篠原は1950年代後半から田名網敬一らと、権力に対抗する挑発的で過激なアプローチとして「ネオ・ダダ」「反芸術」と呼ばれる潮流の真ん中で活躍した。「ボクシング・ペインティング」は1960年頃から始めた彼の野外アクションアートである。
当初はその場限りで打ち捨てられていたが、本作は、89歳になった篠原が、新型コロナの終焉に合わせ、東京で行ったアクションアートの痕跡である。
9/14,15の上京で回った展覧会レポートは以上で終わりにする。
〈付記〉
ミュージアムショップで『さくら』(2005),『漁港の肉子ちゃん』(2011),直木賞を受賞した『サラバ!』(2014),『夜が明ける』(2021)等で知られる小説家 西加奈子(1977- )と擦れちがった。ご家族と一緒のようだった。
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