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2024年09月19日11:00

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「田名網敬一〜記憶の冒険」/国立新美術館��

(続き)

◆第8章「記憶の修築」
田名網は米国の心理学者ジョン・コートルの著書『記憶は噓をつく』(日本版1997)を読み、人は無意識のうちに記憶を作り変えながら生きていると言う認識を一層強くした。
田名網は語る、「夢と記憶が微妙に重なり、組み合わされ、編集の工程を経て新たな記憶として蘇る。私にとっての夢と記憶は、あらゆるアイデアの源泉として、絶えることなく強い波動を送り続けてくれる、貴重なバイブルなのである」。
《記憶は嘘をつく》(2023) 23枚連作より
1970年代の手作りコラージュとは異なり、パソコン上で構成を決定後、雑誌の切り抜きを拡大、カンヴァス地にデジタルプリントしたものをボンドで貼り付ける。まるで情報の洪水のような密度である。
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アメコミのヒーローや怪物、若冲のニワトリやトラが何の違和感もなく1枚のカンヴァスに押し込められている。

◆第9章「ピカソの悦楽」
2020年、新型コロナのパンデミックで田名網の展覧会等のスケジュールは白紙となり、する事もない日々を送っていたが、ある日思い立ってピカソ作品の模写を始めた。
目的もなく、締め切りもない模写に、田名網は思いがけない悦楽を覚えた。まるで写経の如く無心に、今やそれは700点を超えた。
模写と言っても、ピカソの原画そのままではない。異なるピカソ作品同士を組みあわせたり、田名網の創作モチーフを付け足したり、部分によって色を変えたり。ピカソを素材に、如何に新しいものを盛り込めるか、田名網の遊び心の産物である。
《ピカソ母子像の悦楽》シリーズ他(2020-23)
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〈参〉ピカソの《泣く女》(1937/テート・モダン所蔵)
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◆第10章「貘(ばく)の札」
「貘の札」とは、枕の下に敷いて寝ると縁起の良い夢を見る事ができるというお札である。
田名網にとって制作は死への恐怖や邪念を払拭する手段であり、負の感情はポジティヴなイメージに変換される。
彼にとっては「作品=魔除けの護符」という定式が成り立つかもしれない。
最晩年を迎え、田名網は自身の記憶の曼荼羅を作ろうとしたのだろうか?
《見える闇・見えぬ闇》(2016)
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《死と再生のドラマ》(2019)
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《絶対的存在》(2024) FRP,鉄 他
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繰り返しになるが、田名網作品は細部にこそ人を幻惑する魅力がある。できるだけ拡大して愉しんで頂きたい。

◆第11章「田名網敬一×赤塚不二夫」
田名網は漫画家になる夢を持っていた時代もあった。
漫画家 赤塚不二夫(1935-2008)は1歳年上で、田名網は10歳の頃から彼の作品を知っていた。
敬愛する赤塚と田名網がコラボレーションできたのは赤塚没後7年、赤塚生誕80周年記念展の時だった。2015年、その展覧会に田名網は絵画を1点出品。
更に2022年、集英社から依頼され、赤塚漫画のキャラクターを使ったグラビア作品を制作、翌23年には赤塚モチーフの作品集を出版する事となる。
赤塚漫画のエッセンスと田名網の作風は、祝祭的な歓喜と熱狂の中で見事にマッチした。
《いつも見る夢》(2022)
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◆エピローグ「田名網キャビネット」〜コラボレーションによるプロジェクト
60年に亘る田名網の活動の中で、アートディレクションを手掛けたものは数多い。彼は「すべての創造行為は広義の意味で編集とデザインである」とも言った。
こうして、”アートとデザインの越境者”として自らのアーティスト像を確立していった田名網には、当然、コラボレーションによる創造的な仕事も数えきれない。
1960年代、田名網は原画一点主義に閉塞感を感じ、様々な人達とコミュニケーションを重ね、複製技術やデザインの方法を活かすようになった。
田名網にとってコラボレーションは単なる依頼仕事ではなく、協働によってのみ実現し得る”化学反応”でもあったろう。
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〈参考資料〉
『終わらない記憶の冒険〜田名網敬一』
 ディレクター 秋山路子
 放送 9/1、NKK-Eテレ「日曜美術館」
…番組には、間際迄元気そうに本展の指示をしていた田名網の姿があった。
またシンポジウムの講師を務めた池上裕子、朝吹真理子もビデオ出演していた。
 
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