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2024年09月17日17:53

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「田名網敬一〜記憶の冒険」/国立新美術館��

9/14(土)、国立新美術館で開催中の展覧会「田名網(たなあみ)敬一〜記憶の冒険」を観る。
・会期 8/7〜11/11

当日は聴きたいシンポジウムがあり、参加のための整理券を10:00から美術館インフォメーションで配布するとの事で、間に合うよう浜松駅7:50発のひかりに乗った。家を出たのは6:20。
新国立美術館に着いたのは9:30過ぎで予定通りだったが、館内の通路には列をなす人がぎっしりで、こちらは予想外だった、田名網のシンポジウムを待つ人がこんなにいるだろうか?と。
猛烈な人の列の周囲には、それを整理する係員もたくさんいる程で、先を見ると「CLAMP展」との立札がある。私は「CLAMP」って何?という部類の人間に属する。
ともかく、田名網展とは関係なさそうでホッとしたのだった。

◆開幕記念シンポジウム「田名網敬一の現在地」

講師;
・美術史家 池上裕子(1973- )
…「インターナショナル・ポップ展」(2015/ウォーカー・アート・センター)で田名網作品を紹介。
・映像研究家 ジュリアン・ロス(?- )
…「More Than Cinema〜城之内元春と田名網敬一」(2020/ニューヨーク・パイオニア・ウァークス)を共同企画。
・小説家 朝吹真理子(1984- )
…作品集『田名網敬一Quo Psyche”魂の行方”』(2024)に書き下ろし短編『きんぎょのひるね』を掲載。
・美術作家 束芋(1975- )
…1991年より京都造形芸術大学教授だった田名網に師事。
・進行;本展担当研究員 小野寺奈津
・日時/会場;9/14(土) 14〜17:00/本館3階講堂

幸い整理券入手はスムースに済み、シンポジウムは前の方の列で聴く事ができた。
講師の話もそれぞれ大変に興味深く、内容は、以下のレポートに加味している。

◆田名網敬一(1936-2024)のプロフィール

1936年、東京都京橋の服地問屋の長男として生まれる。
5歳史時に太平洋戦争勃発。目黒、次に新潟に疎開。子供心に、B29による空襲下の恐ろしくも美しい光景は、のち、田名網作品のベーシックなモチーフとなる。
ただ、累々と重なる死骸等、酸鼻を極める光景をそのままリアルに描く事は田名網にはできなかった。記憶はいつの間にか、少しずつ変容していった。
9歳時に終戦、帰郷。目黒の権之助坂から見た焦土と青い空のコントラストは田名網の脳裏に焼きつけられた。

その後、少年時代は紙芝居、続けてアメリカから入りこんできた映画に没頭。
武蔵野美校デザイン科に入学。1958年、2年生の時、日本宣伝美術協会主催の日宣美展で特選受賞。
学生時代から雑誌のエディトリアルデザインの仕事をする。この頃、ネオ・ダダイズム・オルガナイザー(赤瀬川源平、篠原有司男ら)との交流が始まる。
卒業後博報堂に入社するも2年弱で退社。

1960年代はイラストレーター、グラフィックデザイナーとして活躍、映像作品制作にも携わる。
1967年渡米、ニューヨークでPOPアートの騎手アンディ・ウォーホル(1928-87)の作品と出会う。
1968年には、ロックバンドのアルバムジャケット・デザインを担当。また米誌「AVANT GARDE」が行った反戦ポスターに応募、入選。
日本のサイケデリックカルチャーやポップアートを牽引する。
1975年、日本版「月間PLAYBOY」の初代アートディレクターに就任。
実験的な映像作品は、欧米の映画祭で上映され、高評価を得る。

1981年、45歳の時、肺水腫を患って入院、生死の境をさまよう。熱に浮かされる中で幻覚を見、生と死は田名網の重要テーマとなる。
90年代以降は田名網の個展が各地で開催され、若者世代に認知が進む。ファッション・ブランドやミュージシャンとのコラボレーションも実現。
2000年代は海外での展覧会も数多く行われた。
更に、ニューヨーク近代美術館、シカゴ美術館、香港M+、ハンブルガー・バーンホフ現代美術館他が、田名網作品の収蔵を決定。

田名網は今年2024年8/9、くも膜下出血で亡くなった。88歳。創作活動は60年以上に及んだ。
6月に入院し、初の大規模個展である本展準備を病床からも行っていたが、遂に会場に足を運ぶ事はできずに終わった。

上に記した事柄と年代は、事実と違う事もあり得て、注意を要する。
シンポジウムで池上裕子や朝吹真理子が言っていたが、聴き取りのうちに本人の発言が変化していく事もあったとの事。
断片的な記憶は、物語化しないと人間は記憶できない。田名網の話はいつ聞いても実に面白く、いろんなところへ聴き手を連れていってくれる。話す事は既に物語化でもある。
「人間は自らの記憶を無意識のうちに作り変えながら生きている」というのは田名網本人の言葉である。
「記憶の冒険」とは、自身の脳内で増幅される記憶をテーマに創作活動を続けてきた田名網の回顧展タイトルとして相応しく、興味深い。

◆「田名網敬一〜記憶の冒険」の展示構成。

・プロローグ「俗と聖の境界にある橋」
・第1章「NO MORE WAR」
・第2章「虚像未来図鑑」
・第3章「アニメーション」
・第4章「人工の楽園」
・第5章「記憶をたどる旅」
・第6章「エクスペリメンタル・フィルム」
・第7章「アルチンボルドの迷宮」
・第8章「記憶の修築」
・第9章「ピカソの悦楽」
・第10章「貘(ばく)の札」
・第11章「田名網敬一×赤塚不二夫」
・エピローグ「田名網キャビネット」

総出展数は500を超える。観た事のない作品も少なくはない。大変に魅力的な展覧会に仕上がっている。

◆プロローグ「俗と聖の境界にある橋」
《百橋図》(2024) 木,合金,ABS樹脂による立体造形にプロジェクションマッピング
暗闇にたくさんの太鼓橋が複雑に絡み合っている。この世とあの世をつなぐ橋。
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《百橋図》(2024) 8曲1隻屏風、幅10m超
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扇のアップも一部ピックアップしておく。何しろ細部にこそ田名網の魅力は存在するのだから。
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エロティックなものと死のイメージが隣接。
戯画化された戦闘機。アメコミの主人公達は古い雑誌からの切り抜き。北斎の滝や橋のイメージもコラージュ手法による。
大きなニワトリは若冲の引用。

田名網の言葉(意訳)
…疎開先の新潟でもB29の空襲はあった。近くに養鶏場があったが、警戒警報のサイレンが鳴る前に、ニワトリの群れが気が違ったように騒ぎ始めた。ニワトリは優れた感覚で爆撃機の飛来を感取したのだろう。ニワトリのトサカの真っ赤な色は、空爆で燃え盛る家々の火の色に見えた。…

2つの《百橋図》は、本展のため特別に制作された。
それにしても、このエネルギーは、88歳の田名網の痩せた身体の何処から湧いて出たのだろう。


(続く)
 
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