9/4(水)、名古屋市美術館で北川民次展を観たあと、途中、デパートで昼食、暑い中を歩いて愛知県美術館へ。
愛知県美術館で開催中の企画展は「アブソリュート・チェアーズ」。
「アブソリュート」とは「究極的な」「絶対的な」という意味。
・会期 7/18〜9/23
下はそのチラシ表。
椅子の機能の根本は、座る人の姿勢を支える、というもの。今更言う迄もない。
しかし、椅子は家具職人がひとつひとつ作る個人用ばかりではない、近代以降、公の場で、多人数で使われるケースも多くなった。
現代のインダストリーデザイナーや建築家は、座りやすさを追求するだけでなく、場との親和性、使いやすさや収納性等にも気を使う事になった。
また、椅子は権威を象徴するものとして特別な性格を求められる場合もあった。必ずしも専制時代の王のそれだけではない、某県知事が知事室で座る椅子と、議場で議員が座るもの、我々が会社や学校、家庭で座るものは違う。
椅子は、ある時は格差や分断を引き起こし、ある時はコミュニケーションのツールとなる。
考えてみれば、椅子はなかなか微妙なものだ。
椅子は職人だけでなくアーティストの感性も刺激してきた。特に20世紀以降、椅子の持つ多様な意味やイメージはアーティストを魅了してきた。
本展には約80点、平面・立体・写真・映像・ダンス等幅広いジャンルの「椅子なるもの」が展示されている。
これらを通じて人間と社会のありようを考察しようというのが本展の狙いである。
20世紀美術でその初期に決定的な歴史を刻んだのは、マルセル・デュシャン(1887-1968)の《自転車の車輪》(1913)だろう。
本展会場の入り口/第1章冒頭を飾るのもこれである。
自転車の車輪を載せているのは、どの家具センターでも売っているような木製の台所用椅子である。
展覧会の構成は以下の通り。
第1章「美術館の座れない椅子」
第2章「身体をなぞる椅子」
第3章「権力を可視化する椅子」
第4章「物語る椅子」
第5章「関係をつくる椅子」
◆第1章「美術館の座れない椅子」
デュシャンの「レディメイド」作品に続いて、
《無題(金色の椅子のオブジェ)》(1966)草間彌生(1929- )
突起物は男性のファルスの象徴らしい。草間の強迫観念が生んだ無限に増殖する「水玉模様」、その原点とも言える。
《坐ることを拒否する椅子》(1963)岡本太郎(1911-96)
手前の2つだけは座っていいとあったので、試してみたが、ごつごつしているし、人の顔型の上にお尻を置いてゆっくりはできない。
現代人の過度な機能性・合理性への依存に対する、岡本独特の批判精神の現れだろう。
《トレイン・イン・ヴェイン》(2008)ジム・ランビー(1964- /スコットランド)
冒頭に貼付したチラシの下半分もこの作品である。
素材になっている椅子やハンドバッグは市場等で買い求めた中古品。椅子はカラフルに再塗装され、ハンドバッグには割れた鏡が貼り付けられている。
ランビーは、素材を会場に運び込むと、現場でノコギリを入れ、即興的に組み立てていく。つまり定型はなく、会場によって異なる姿を見せる事になる。
◆第2章「身体をなぞる椅子」
《眠る少女》(2017)ハンス・オプ・デ・ビーク(1969- /ベルギー)
媒体により「ベーク」との表記も見られる。
柔らかそうなソファの上に寝込んでしまった等身大の少女。風邪をひかぬようにと誰かが毛布を掛けてくれたのだろうか。だが、それぞれの固有色が盗られ血の通わぬ灰色一色となっているため、死をイメージさせもする。「死」は永遠の「眠り」である。
リストには材料を「ポリエステル,アルミニウム,塗料」と書かれているが、勿論触れる事はできないため、部位個別の素材もトータルな制作方法もよく分からない。
実際は柔らかくはないのだろうが…
触りたい欲望を抑えて第3章へ。
(続く)
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