令和6年、初めての新潟。新米を求めて三千里。
長岡はちょうど3年前、アオーレ長岡と長岡リリック。
つまり、隈研吾と伊東豊雄を追い掛けて以来の訪県。
そして、人生初の新潟県立近代美術館NOM。
驚いたことに、長岡リリックと同じ公園敷地内にありながら、3年前には訪ねていない。
当地を良く知る先生の調べによると、当時NOMでは『ジブリ展』が開催されていたようで、そんな混雑の中、出向くおいらではないことは自明の理。
ボテロに迎えられて、荘厳な美術館へと足を踏み入れる。
雰囲気は高知県立美術館や福島県立美術館。
今、突然「まだ行けていない県立美術館に《毎月1館踏破》のノルマを自身に付与します」の生き方政策が浮かんできた。
9月はあれなので、10月から実行していくことにしよう。
所詮、政治家同様の公約だけれども。
『ドニが見た日本 日本が見たドニ』★5.
ボナール、ヴュイヤール、ドニ、マイヨール、ドンゲン…とりあえずソラで並べることができたナビ派の画家たち。ここに創設者であるセリュジエの名前が浮かんでこないところが、自分の知識の浅薄さであり、研究者にはなれない主因。
いつまでたっても《観るだけアートマニア》というノーストレスな幸せ者。
『ベンガル虎 バッカス祭』(1920年)
NOMがドニ展を開催できる最大の理由がドニ・コレクションの豊富さであり、このマスターピースの逸品である。
アーティゾン所蔵の『バッカス祭』のリアル版。
企画展初日の展示室。
哀しいかな観客は神奈川県からやってきたおいら、ほぼ一人ぼっち。
セキュリティスタッフさんたちの人数だけが目立っていた。
撮影禁止ではあるが、いつものように例外規定。『但し、川崎オスカーを除く』
ドニ展の中の日本人作家の名品たち。
『赤い日傘』(太田喜二郎)
日本人点描画家としての展覧会で何枚か観覧しているはず。
キャプションを読んで驚いた。
彼はベルギー印象派であるエミール・クラウスに師事し、ルミニズムを習得した。
それよりも記憶しておくべきことは、留学先がゲント市立美術学校であったということ。
忘れないようにしておきたい。
『休む赤衣の女』(板倉鼎)
大正年間の作家であり夭折画家として知っていた。
鼎が28歳で客死したのち、同じく画家として活躍の妻・須美子が26歳、2人の娘も同じころに亡くしている。
春先に千葉市美術館で二人展を開催していたけれど、行けず仕舞い。
いつか、この2人をじっくりと追いかけたい。
驚いたのがこの1枚。
『温泉』(青木繁:1910年)
たぶん初見。個人蔵。
ドニ展にやってきて、青木繫の貴重な作品を観ることができた。
これが★5.評価の一因でもある。
これだから美術館通いはやめられない。(←やめない)
そして、今回のマイベスト。青木繁を除く。
『公園の人々』(福島金一郎:1981年)
まだまだ知らない作家が、ぼくにはたくさんありすぎる。
(つづく)
■待望の新米に行列も…「5キロ3000円は高い」 精米店ではコメ不足に「泣きながら買いに来る」 価格高騰の要因は“競争力”【news23】
(TBS NEWS DIG - 09月04日 13:04)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8006592
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