末盛千枝子(すえもりちえこ)のエッセー集『出会いの痕跡』(2023)を読む。
末盛千枝子(1941- /現83才)は優れた絵本編集家で、彼女が編集した多くの秀抜な絵本の中の1冊『あさ・One morning』(1985)は、遠藤周作に「言葉と色彩が協奏曲をかなでる詩の本」と評され、翌86年ボローニャ国際児童図書展でグランプリを受賞、ニューヨークタイムズ年間最優秀絵本に選出された。
この絵本は末盛カンナ(1960- /千枝子の末妹)が文、井沢洋二が切り絵を担った。
「まだ、絵本は子どもだけのものとお思いですか?」というキャッチは千枝子とカンナが作った。伝統的な絵本の世界に一石を投じたのである。
桐朋学園演劇科卒のカンナは、絵にも才能を発揮し、上に掲げた本書の表紙画(《うしろすがた》シリーズ/2010/2023より)も描いた。「うしろすがた」のモデルは桂か直木か?
末盛千枝子は絵本だけでなく、様々なものを、編集者として、また翻訳家、著述家として世に送り出し、国際的な評価を得ている。
ボローニャ国際絵本原画展の審査員(1998- )に就任、また、IBBY(国際児童図書評議会)の理事(2002-06)を務め、名誉会員表彰(2014)も受けたのは、そうした彼女の活動の評価の一端である。
末盛千枝子の一般的なプロフィールを見ると、まず彫刻家 舟越保武(1912-2002)の長女、また、今年3月に亡くなった桂(1951-2024)の姉と紹介される事が多いが、それは全くバランス感を欠いた表現だと思う。
念のため添えておくと、「末盛」という姓は、1972年、NHKのディレクター末盛憲彦と結婚した事による。
この書は、末盛千枝子がその生涯で出会った人達(舟越家を含む)との交流と彼女の仕事を、思いだすまま、心に沁みる、しかし芯に強さを持つ文体で書いたエッセイである。
まず、千枝子が関わった作品を中心に、極く一部を時代順に拾いだしてみたい。
・『パパにはともだちがたくさんいた』(1985)末盛千枝子作,津尾美智子絵。
この年に発足したジー・シー・プレス出版部刊。
これは千枝子には珍しいフィクション作品で、千枝子の思い「絵本は悲しんでいる子どものそばに立っているものでなければならない」が結晶している。
・『オーケストラの105人』(1985) カーラ・ラスキン文,マーク・サイモント絵,岩谷時子訳。
・『画家』『作家』(1986) M・B・ゴフスタイン文・絵,谷川俊太郎訳。
・『ナザレの少年(新約聖書より)』(1986) 舟越保武絵。
・『パラシュル先生』(1989) はらだたけひで文・絵。
この年、千枝子はたった一人で「すえもりブックス」を起ち上げ、本作が出版第1冊となった。
・『フランチェスコ』(1992) はらだたけひで文・絵。
エズラ・ジャック・キーツ国際絵本画家最優秀賞。
・『THE ANIMALS どうぶつたち』(1992) まど・みちお詩,皇后(当時)美智子選・英訳,安野光雅切り絵。
日米共同出版。まど・みちお IBBY国際アンデルセン賞(1994)。
・『すばらしい季節』(1993) ターシャ・テューダー作,末盛千枝子訳。
千枝子は、先んずる1991年に、米国バーモント州のターシャ・テューダーの自宅を訪問している。
・『おばあちゃんのはこぶね』(1996) ゴフスタイン作,谷川俊太郎訳。
・『おもちゃのいいわけ』(1996) 舟越桂作。
同誌部分。
・『日本二十六聖人殉教者への連祷』(1999) 高橋睦郎著,舟越保武絵。
長崎の西坂公園には、保武が4年の歳月をかけた代表作《長崎二十六殉教者記念像》(1962)がある。1948年、生まれて僅か8ヶ月の長男 一馬の死を機に、1950年、保武と家族全員はカトリックの洗礼を受けた。その時、千枝子9歳。桂が生まれたのはその翌年。
《長崎二十六殉教者記念像》部分
注文主(長崎市及びイエズス会)は26人が「処刑される姿を表現して欲しいとのことだったようですが、父は(中略)それぞれが晴着を着て、天国に昇っていく様子を表現したいと思った」、そう千枝子は本書に書いている。続けて、1597年1/9、秀吉の命により京都で捕えられ裸足で長崎迄歩かされた彼らは「西坂に着いた時、(中略)実際には着物はボロボロ、手足は傷だらけで見るも無残な姿だったはずですが、(中略)それぞれの正装で、この丘から今にも天に昇っていくような姿で表現されています」と。
確かに、彼らの足は、地面に立っているのでなく、宙に浮かんでいるように見える。
・『シェークスピアとグローブ座』(2000) アリキ=プランデンベルク文・絵,小田島雄志訳。
・『ゴールディのお人形』(2003),『ピアノ調律師』(2005) ゴフスタイン作,末盛千枝子訳。
1991年にニューヨークで対面していたゴフスタインは、「日本での(自身作の)出版はチエコに任せる」と末盛を信頼した。
錚々たる名前が並んでいるのは、千枝子の人柄と、築かれた豊かな人間関係の証である。
2011年には東日本大震災が勃発した。
恐怖を経験し、親を亡くし、悲しみの淵にいる子ども達のために、その頃岩手県に移り住んでいた千枝子は「3・11絵本プロジェクトいわて」を起ち上げ、代表となった。
彼女の呼びかけで、全国から23万冊の絵本が盛岡に集まった。
ボランティアの人達が膨大な数の段ボールを開け、仕分けした。
千枝子の次男 春彦(1977- )は「えほんカー」を考案、日々、被災地の子供達に絵本を届けた。
絵本を受けとった子供達は、「あなたたちのことを思っている」人々がたくさんいるのだという事を感じ取ったろう。
翌2012年、千枝子はIBBYのロンドン大会でこの活動についてスピーチ、世界からの参加者に感動を与えた。
2013年には活動をまとめた『一冊の本をあなたに』を出版。歌代幸子著、末盛千枝子編集。表紙絵は弟 桂が書いた。
桂も被災地に幾度も足を運び、子供達に自分の彫刻作品を見せ、会話した。
プロジェクトの活動は10年間に亘った。
出版や著述活動からだけでは拾いきれなかった事柄について、もう少しピックアップしておきたい。少々重複は出るが。
1941年1/21、千枝子は舟越保武・道子の長女として、練馬のアトリエ長屋で生まれる。名は高村光太郎から授かった。この年、太平洋戦争が始まった。
1945年、父の郷里 岩手県盛岡に疎開。千枝子は10歳迄ここで育つ。
1943年、次女 苗子、1946年、三女 茉莉生まれる。
1947年、長男 一馬生まれるも、翌年僅か8ヶ月で没。
保武が翌年仕上げた棺の中の《一馬と水仙》、パステル。
1948年、保武作、頭部ブロンズ像《チエコ》。幼い頃の千枝子の表情だけでなく、性格迄も映し出しているようだ。
1951年、次男 桂 生まれる。岩手から東京世田谷へ移る。
1953年、三男 直木生まれる。
1960年、千枝子、慶応大学文学部入学、専攻は日本史。
四女カンナ生まれる。兄弟姉妹は、亡くなった長男を含め合計7人という事になる。
1965年、卒業後、出版社Sでアルバイト。
1966年、千枝子、米国留学していた妹 苗子の卒業式に出席。その足で苗子と欧州旅行へ。ヴァチカンではローマ法王パウロ6世に謁見。フランクフルトのブックフェアで出版社Sのブースを手伝う。
1968年、画家 堀文子の大磯の自宅で行われた読書会で、のちの皇后美智子と会う。
1972年、NHKディレクター末盛憲彦と結婚。『夢であいましょう』『ステージ101』『テレビファソラシド』等を担当。放送作家協会賞受賞。
千枝子、仕事から離れる。
1975年、長男 武彦 生まれる。
1976年、1歳児検診で難病(レックリングハウゼン病)との告知。
千枝子、出版社Sの季刊誌に『小さな子どもたちへ〜私のなかの絵本』を連載(1980迄)。子育ては、千枝子が絵本を見直すきっかけになった。
1977年、次男 春彦 生まれる。
1983年、夫 憲彦、突然死(心筋梗塞)。54歳。
その後、千枝子、出版社Sの仕事に復帰。
1984年、世界最大の児童書見本市ボローニャ・ブックフェアに行く。絵本作家エリック・カールと知り合う。以後、20年に亘りボローニャに通う。
小学校低学年の時、長男 武彦、学習障害(ディスレクシア)と判明。読み書きが不得手で、言葉と文字がスムースに連動しない。トム・クルーズがこれを抱える由。
1985年、ジー・シー・プレス、出版部開設。
1987年、父 保武、脳梗塞、右半身不随に。彫刻家にとって致命的な出来事だった。
「父は、病院でベッドの脇に立っている母の胸に顔をうずめてむせび泣いていました」と千枝子は思い出している。だが、保武は左手の訓練を始めた。
左手で制作したブロンズ像《ゴルゴダ�供�(1993)。
弟 直木は、保武とも桂とも違う、抽象へ進んだ。
《Drawing》(1987)と《Chordeiles Minor》(1991)。
1989年、すえもりブックス設立。
1992年、1960年頃に知り合った古田暁と再会。千枝子は、古田の再生不良性貧血との闘病を支えた。古田は中世哲学及び神学研究者。
同年、保武のエッセイと左手によるデッサン集『大きな時計』刊。
1993年、『スティーヴン・ウィルシャー画集1,2』ゆあさふみえ訳、刊。
ウィルシャー少年は自閉症。当時の社会はまだ障害への理解程度が低かった。障害の解説も添えた本書の出版は、画期的なものだった。長男 武彦の難病と障害がこの書に結実したのであろう。
1995年、千枝子、古田暁と再婚。
1998年、IBBYニューデリー大会に出席できなくなった皇后美智子の基調講演のビデオ収録と放送に奔走。そのビデオはニューデリーの会場で上映され、NHKが放送した。僅か2ヶ月後に、その内容は『橋をかける〜子供時代の読書の思い出』として出版に漕ぎつけ、8ヶ国語に翻訳されて世界各地で出版される事となった。
2001年、『聖ベネディクトの戒律』聖ベネディクト(480頃-547)著,古田暁訳、すえもりブックスより出版。
長男 武彦、スポーツ上の事故で脊髄損傷、下半身不随に。
2002年、父 保武 没。89歳。
2006年、古田暁、脳出血で倒れる。
2008年、千枝子、シリーズセミナー『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』を開催。(2009年3月迄、全10回。)
2010年、すえもりブックスをたたむ。岩手県八幡平市に移住。
2013年、古田暁 没。84歳。
2016年、千枝子『「私」を受け容れて生きる〜父と母の娘』刊。
傍から見れば、不幸がうち続くかのように見える舟越家の人々と自身の存在を、真っ直ぐに受け容れる千枝子の優しく且つ芯の強い文章。
2017年、弟 直木 肺がんにて没。64歳。
2022年、長男 武彦 没。47歳。
2023年、千葉県の市原湖畔美術館で「末盛千枝子と舟越家の人々〜絵本が生まれるとき」展開催。会期 4/15〜6/25。
本書『出会いの痕跡』は、この展覧会の記念出版の位置付けとなっている。私の手許にあるのは、初版2023年4/15。会期スタートの日付である。
当然ながら、本書では、1年後の2024年3/29、弟 桂の死(直木と同じ肺がん)については触れられていない。
箱根の彫刻の森美術館では、現在「舟越桂〜森へ行く日」展を開催中。会期 7/26〜11/4。
以下同展チラシ。作品は《樹の水の音》(2019)。
芸術新潮8月号は、舟越桂追悼特集「彫像(ひと)のさきに在るもの」。
同誌表紙。作品は《雲の庭》(1999)。
執筆 三沢厚彦『変貌しゆく人のかたち〜三沢厚彦がえらぶ舟越作品』
酒井忠康『彫刻の詩人・舟越桂さんとの幸福な時間》
他
発行 2024年8/25、新潮社
ログインしてコメントを確認・投稿する