いま、自分が名画座を経営していたなら『蒲田行進曲』+『風の歌を聴け』を《でがらし二本立て》としてスクリーンに掛ける。ただ、名画座を経営していないので、大いなる幻影。
ヤスとぼくが良い朝を彩ってくれた。ヤスはもう退場したけれど
7月1日。
我が街・川崎市が100歳の誕生日を迎えた。
コンサートも美術館も無料開放だったのに、恩恵に預かれず
ブルーインパルスで良しとしよう。
《ロボット誕生》(1993)
市役所の壁に大いなる弦一郎。
一体、どうして川崎市のパブリックに彼の作品があるのかを、小学校でも中学校でも教えてもらえなかった。今度、福田市長に聞いてみようか。(←聞かない)
《香川D2》承前
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987724541&owner_id=8666179
いろんな場所へ旅に出すぎて、高松の旅日記が書きかけになっていた。
直島へ出掛けていった前章。実はその前に、空港から直接、弦一郎の街
《丸亀市立猪熊弦一郎美術館》
人生4度目になるだろうか。
1度目は単なる「ハコモノ」と嘲笑を加えていたくせに、2度目には猪熊弦一郎の魅力を知り、3度目には建築家・谷口吉生の圧倒的名作に惚れて、今回は招待券をいただいての訪館。つまりは、還暦を迎えたっていまだに成長途上の自分が見えてくる。
『建築交流ネットワーク協定』
谷口吉生の存在を知り、わずか数年で全館制覇をした建築ファンがいる
ウィッシュリストを手に、願いは叶う。
4度目も閑散。
まるがめ競艇のあがりをほとんどこの建物の維持にぶっこんでいるのではないだろうか。
丸亀駅前の一等地。丸亀城巡りの観光客、3割ぐらいは立ち寄ったらどうだと、旗を振ってみたい。
まるでロスコ。
キャプションには正解が記されていて、もちろん猪熊弦一郎、マーク・ロスコと付き合いがあったようだ。彼はジャスパー・ジョーンズとも交友を結んでいた。
何度も何度も見ている作品なのに、4度目もまた違う。
川崎市役所の壁画を思い出させる郷愁感。
土偶は先生アメリカ時代に入手したどこかのインディアン人形。
それにしても、観客がいない。
猪熊弦一郎。1902-1993。
つまり、川崎市役所の壁画レリーフが最晩年作品として、90歳で鬼籍に入る。
マティスの指導を受けていた時に、マティスに自分の絵の批評を請うと「お前の絵はうますぎる」と言われ、これを自分の画風が出来ていないと捉えて愕然としたそうだ。以来、自らの画風を模索する歳月を過ごすが、マティスの影響からなかなか抜け出せなかったとある。
少なくともマティスではない。
猪熊弦一郎しばりの作品鑑賞を終えて、谷口吉生詣で。
またぞろ金沢や掛川に行きたくなってくるのは、おいらだけではあるまい。
1回目の訪館時にはハコモノと称し魅力さえ感じなかったのに、谷口作品と知ったことから階段さえ名建築に見えてくる。きっとドシロウト鑑賞者のルーティン。
石さえもデザインとして見ることのできる。
これが名先生の立ち位置
(つづく)

「虎に翼」、ある人物の表情に視聴者の注目集める 「気付いてるかな…」「灯台下暗しになってる」
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