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2023年11月03日23:37

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「人間讃歌〜江戸の風俗画」/徳川美術館

11/1(水)、名古屋に出て2つの展覧会を観た。
1つは徳川美術館、「人間讃歌〜江戸の風俗画」。
もう1つは名古屋市美術館、「福田美蘭〜美術ってなに?」。

徳川美術館は名古屋市東区徳川町にある旧尾張徳川家の広い「徳川園」内にある。
同家に伝えられた様々な名品を所蔵、1935(昭和10)年にオープンした。
1万件余りの所蔵品の中には、《源氏物語絵巻》等国宝9件、重要文化財59件がある。

今回の展覧会は江戸時代初期の風俗画を見せる。
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・会期 9/24〜11/5

前後期合わせ総展示64件、内3件が国宝、13件が重要文化財。よくこれだけ集めたものだ!
以下、国宝について、その名前だけ先に掲げておく。
・《洛中洛外図屏風(舟木本)》六曲一双(岩佐又兵衛)/東京国立博物館蔵
・《納涼図屏風》二曲一隻(久隅守景)/同
・《風俗図(彦根屏風)》六曲一隻(作者不明)/滋賀・彦根城博物館蔵
上の2件は、過去に東京国立博物館、石川県立美術館で私は観ている。

展示品を所蔵元で分けると、多いのは東京国立博物館所蔵品12件、京都国立博物館9件、徳川美術館11件。
作者では岩佐又兵衛作品6件が目立つ。

今回、岩佐又兵衛作品ではこれ迄観る機会を失っていた重要文化財《豊国祭礼図屏風》六曲一双、他に《誓願寺門前図屏風》二曲一隻、《風俗図》2枚を初めて観る事がでてきた。
又兵衛以外では、前々からかねがね観たいと思っていた、国宝《風俗図(彦根図屏風)》六曲一隻、そして重要文化財《本多平八郎姿絵屏風》二曲一隻(何れも作者不明)を観る事ができたのは大変収穫だった。
他にも、江戸時代の人と風俗を知る上で重要な作品と多数接する事ができた。画中で人々が生き生きと活動する姿には共感も大きかった。

展示構成は以下の4章。
・第1章「都市に生きる」
・第2章「遊びをつくす」
・第3章「美をきわめる」
・第4章「泰平をたのしむ」

◆第1章「都市に生きる」
戦国の世が終わり、平和な世が到来した江戸時代初期、現世は厭世的な「憂世(うきよ)」から肯定的な「浮世(うきよ)」へと変化していった。そんな時代の風潮を反映し、都市には人々が集まって活気に溢れ、生活に遊びに楽しむ様子を描いた風俗画が数多く現れた。
経済的背景としては、各地で金銀が産出され、また、海外との交易がもたらした富で、人々の生活は豊かになっていった。
1603(慶長8 )、徳川家康が京都に二条城を築くと、都市風俗図である洛中洛外図も変貌を遂げる。
また、同年には出雲のお国の歌舞伎踊りが評判をとり、四条河原は歓楽街として賑わい、風流踊りが大流行。画家達は「時世粧」を敏感に採り入れ、様々な風俗画を制作した。
その代表格が岩佐又兵衛で、彼によって描かれた人物達は臨場感と躍動感に満ちている。

・《豊国祭礼図屏風》(岩佐又兵衛)江戸時代17世紀/徳川美術館蔵/重要文化財
六曲一双の左隻全景と同第2扇右下部分のクローズアップ。1604(慶長9)年、豊臣秀吉の七回忌に、京都豊国大明神臨時祭礼が盛大に催された。風流踊りを踊り狂う集団、そのエネルギー。
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・《歌舞伎図巻》(作者不明)江戸時代17世紀/徳川美術館蔵/重要文化財
上下二巻の下巻〈茶屋遊び〉部分のクローズアップ。出雲のお国の追随者の一人采女(うねめ)の一座、四条河原での興行。采女は男装し「かぶき者」(*)のなりをしている。
この頃はまだお囃子に三味線は使われていなかった。
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(*)小袖の上に袖なしの羽織を重ね着し、丸打ちの名古屋帯をぐるぐる巻き。ロザリオや金の聖遺物入れを首にかけ、腰には瓢箪や印籠・砂金袋等を下げ、金の打出でサメ皮風にした豪華な脇差を差す。更に黒地に金銀を蛭巻にした打刀に肘をつき、扇をつまんで垂らすという決めのポーズをとっている。

◆第2章「遊びをつくす」
泰平の世は、人々を享楽へと導いた。その舞台は野外から、広壮な邸宅へと広がり、「邸内遊楽図」が生まれた。それは京都か江戸か、遊里の妓楼か貴顕の邸宅か、何処とも判別がつけがたい。人々は美しい衣裳を身にまとい、酒食を愉しみ、舞い踊り、様々な遊びにふけった。茶・花・香等の高雅なもの、中国の高貴な人が嗜む「琴棋書画(きんきしょが)に見立てられるもの、蹴鞠や楊弓等の公武の諸芸、遊びは雅俗をない交ぜにして広がっていく。
絵の中で刹那的な快楽に身を投じる人々の様子は、日常からかけ離れ、夢や憧れがもたらす非現実的な理想郷の住人となっていく。

◆第3章「美をきわめる」
幕藩体制が確立していくと、お上は放埓な振舞いや、華美な装いを禁ずるようになり、享楽的な遊びは遊里等、いわゆる「悪所」に限定されていく。
すると、風俗画は背景を省略し、視野を狭め、人々の姿形や衣裳に重点を置く「遊楽人物図」や「美人図」となっていった。
この時期の風俗画は、化粧、髪型、衣裳の形や模様、仕草や立ち居振舞いを描きだす事に力が注がれるようになる。
衣裳は、17 世紀以降、染織技術が目覚ましい発展を遂げた事によって大きく進化していった。特に時代の先端をいくのは小袖で、画家達はそれ見事に描きだす事に尽力する。

・《風俗図(彦根屏風)》(作者不明)江戸時代17世紀/彦根城博物館蔵/国宝
六曲一隻の右側エリアにいるのは、遊女らに誘われる、刀を杖にしたかぶき者風の若者。境は描かれていないが、ここ迄が戸外の情景で、左側は遊里の屋内。「琴棋書画」を当世風に置き換えた遊びをなす男女。着物や髪型は精緻を極める。
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・《本多平八郎姿絵屏風》(作者不明)江戸時代17世紀/徳川美術館蔵/重要文化財
二曲一隻の右扇には4人の女性。左扇には、禿に文を手渡されようとするかぶき者風の若者。
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江戸時代の伝承として、若者を本多平八郎忠刻(ただとき/1596-1626)、右側の中央の女性(葵紋の小袖を着ている)を千姫(1597-1666)ととらえていた。絵のタイトルはそこから来る。
忠刻は徳川四天王の本多平八郎忠勝の孫に当たる。千姫は、二代将軍徳川秀忠の娘で豊臣秀吉の嫡男秀頼に嫁した。大坂落城前に救いだされ、のち忠刻と再婚した。
但し、絵の若者は前髪が残る本元服前の姿で、女性の方は眉を剃り、額に描眉をしている事から、本展はその解釈に違和感があるとしている。

以下右扇クローズアップ
https://www.tokugawa-art-museum.jp/about/treasures/painting02/032/

◆第4章「泰平をたのしむ」
17 世紀半ばを過ぎると、現世を意味する「浮世」という言葉が変化、当世風、流行の風俗、芝居・遊里等の悪所を指すようになる。絵画の世界には、役者絵と美人画を得意とする「浮世絵」が誕生した。
浮世絵は何枚も刷れる事から、町民達の新しい需要を生みだすが、屏風や図巻は一点ものとして脈々と描き続けられた。
それらは特権階級の注文によって描かれることが多く、注文者の理想や憧れ、時に政治的な意図等も反映された。彼等は太平の世が永く続く事を願い、四季の美しい情景の中に、様々な階級の人々の安寧な生活や穏やかな暮しが描かれた。

・《都鄙図巻》一巻(住吉具慶)江戸時代17〜18世紀/奈良・興福院蔵
都市の賑わいと郊外の田園風景を、移ろいゆく四季の流れの中に、細密な描写と上質な彩色で描いた図巻。
幕府の御用絵師だった住吉具慶(1631-1705)晩年の佳品。

全長1094cmの図巻には、梅が咲き、正月の行事が行われる公家屋敷から始まり、町中で軒を連ねる様々な店々の描写へと続く。
下にリンクした場面では、右端に人形屋、その前に群れる女性達の衣服の色使いが素晴らしい。通りには、物売り等様々な人々が賑やかに歩く。
https://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2023/0924/post-09/

描かれた都市と農村の繁栄には、おそらく時の将軍五代綱吉の善政を讃える思惑もあっただろう。
 

〈参考資料〉
・図録『人間讃歌〜江戸の風俗画』
 執筆 吉川美穂 他
 発行 2023年9月、徳川美術館
 
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