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2023年04月25日22:05

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映画日記『小さき麦の花』

2023年4月25日(火)

『小さき麦の花』(2023年)
監督:リー・ルイジュン
伏見・ミリオン座

男の名はヨウティエ、女の名はクイイン、ふたりとも親族から疎んじられた存在だった。そのふたりが強引な見合いのすえ、所帯を持つことなる。要するに体のいい厄介払いだ。
ふたりは結婚式を挙げることもなく1頭のロバを譲り受け、もくもくと畑仕事に精を出す。
小麦やトウモロコシを育て、卵を孵化させニワトリを増やし、やがて日干し煉瓦で自分たちの家を築くまでに。
やさしいヨウティエは、年が明けたらクイインが他人の家で遠慮がちにしか見ることが出来ないテレビを買ってあげようと、寝物語に語るのだったが・・・・

見終わって、これは中国版の『私が棄てた女』(1969)だろうとおもった。
遠藤周作の原作をもとに浦山桐郎監督が撮った『私が棄てた女』は、社会の階段をよじ登ろうする青年・吉岡努が、かつて欲望がおもむくままに身体を重ねた女・森田ミツを冷たく見棄てたものの、後になってミツの見返りを求めない無垢な愛を知り深い悔恨を抱くことになるというストーリーだった。
ということで、吉岡努がザンパノで森田ミツはジェルソミーナ、フェリーニ監督の『道』(1954)に通じる映画でもあった。
ところで、『小さき麦の花』がなぜ中国版の『私が棄てた女』だったかというと、二つの面がある。
ひとつは、本作が中国で若い人たちを中心にヒットしたということ。
映画を見ることができるのだから、観客たちの多くは都市部で暮らし、中国の経済的な開放政策の恩恵を享受しているはずだ。
その一方で、今の暮らしにたどりつくまでに、ヨウティエとクイインの親族たちと同じように、誰かを棄ててきたという忸怩たる思いがあったのだろう。
本作を見ることが、心の奥底にあるやましさへの贖罪と救済だったのではなかろうか。
ふたつめは、ネタバレになるが、ヨウティエもまた、クイインを棄てることになったこと。
クイインを棄てるというより、クイインとの「思い出」を棄てるといったほうが正しい。
クイインとの「思い出」を棄てたヨウティエは、役所が用意したちんまりとしたコンクリート造りの集合住宅で希望のない人生を細々と続けることになりそうだ。
正直、夫婦愛に号泣する映画かとおもったら、感傷を排した撮り方だ。
泣こうとおもえば泣けたかもしれないが、泣けなかった。
この前見た『トリとロキタ』と同じように理知的な映画だ。



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