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2022年08月28日12:41

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映画『長崎の郵便配達』

思い立ってシネマイーラ浜松で上映中の『長崎の郵便配達』を観に行ってきた。
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16歳の時、長崎で原爆に遭遇して生死の淵を彷徨い、その後生涯核兵器廃絶を訴え続けた谷口稜曄(すみてる/1929-2017)を描いたノンフィクション小説『THE POSTMAN OF NAGASAKI』。
作者はピーター・タウンゼンド(1914-95)。イギリス人だが、執筆活動はフランスに設けた書斎で行ったようだ。
彼は第2次世界大戦で英国空軍のパイロットだった。戦後しばらくして、戦争で被害に遭った子供達にフォーカスした執筆活動を行うようになった。
その取材のため世界各地を巡ったが、1978年には長崎を訪れ、谷口に出会った。
この時、タウンゼンド64歳、谷口49歳だった。
その後幾度も来日し、歳は離れていたが谷口との間に友情と信頼関係を培った。
殊に1982年には6週間滞在し、集中的に谷口を取材した。
それによって前掲のノンフィクション小説を書き上げ、1984年、米・英で出版した。
タウンゼンドは1995年、80歳で亡くなった。

谷口の被爆者としての活動は、いわゆる「赤い背中の少年」と名づけられた写真を通して我々も知っている。
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谷口は様々な場所や機会に講演を行い、写真を人々に見せた。
生涯で10ヶ国以上を訪れたが、2015年にはニューヨークの国連本部で行われた核兵器不拡散条約(NPT)会議(*)でも、この写真を掲げ、核戦争の悲惨さをスピーチをしている。
「私はモルモットではない。勿論見世物でもない。でも、私の姿を見てしまったあなた達は、どうか目を逸らさないで欲しい」と言い、シャツを脱いでケロイドとなった背中を晒す事も厭わなかった。

谷口のその傷はどのようにしてできたのか、映画によって足跡を追ってみたい。
1943年、谷口は国民学校を出ると14歳で長崎の郵便局に就職、赤い自転車を貸与され、郵便配達の仕事を始めた。当初は体が小さく、自転車に乗った状態では足が地面につかなかったそうだ。
映画の中では、赤い自転車に乗って走る少年が幾度か現れる。少年は石畳の坂道を走り降りていったり、山上の神社の境内から街を眺めていたり。
ドキュメンタリー映画の中で、唯一再構築した詩的モチーフである。
これが謂わばチャプターマークになっていて、章が展開され、また映画に視的統一感を与えてもいる。

1945年8/9、16歳になっていた谷口はいつも同じように郵便配達をしている最中、1.8km離れた上空で原爆が炸裂し、猛烈な光のあとの衝撃波に吹き飛ばされ気を失った。
気がつくと、周囲にはたくさんの死体が転がり、自身の背中や腕の皮膚は溶けて垂れさがって、肉や骨がむき出しになっている箇所もあった。
山中で激しい痛みに堪え、食べ物はなく、水は葉っぱに溜まる僅かな雨水をすすった。
3日後ようやく救護隊に発見されて病院に担ぎ込まれる。
「赤い背中の少年」の写真は、終戦後アメリカのカメラマンによって撮影された動画の1部である。
3年7ヶ月もの間、谷口は治療と療養の生活を送る。どのような治療が行われたのか具体的には分からない。恐らく火傷に対する対処のみで、放射線に対する医療行為はなかったのではないか。
問題は背中の火傷だけではなかった。この姿勢で長くいたため、反対の胸側は酷い床擦れを起こし、本人の言葉によれば「胸が腐って、肋骨の間で心臓が動くのが見えた」そうだ。その様を想像して頭に描くのは困難だけれども。
それでも、1949年に谷口は郵便局に復職した。

この映画を監督・撮影した川瀬美香は、2014年に初めて谷口に会いにいった。谷口が85歳の時である。
この時、タウンゼンドの本は絶版状態になっていて、谷口は復刊を強く希望していた、未だに世界には核兵器が多数存在する、だから、この本が後世に残されていく事は何としても重要だ、と。
国連本部でのスピーチはその翌年である。
川瀬は谷口に同行、国連本部の聴衆が総立ちになって拍手を送った光景を見、自分も何かしなければならないと強く思った。

翌2016年、川瀬はフランス在住のタウンゼンドの娘イザベル(1961- )に会いに行く。
イザベルは川瀬の映画製作の考えに共鳴してくれた。
しかし、映画のため長崎で現地調査をしていた2017年8/30、谷口が亡くなってしまう。88歳だった。
タウンゼンドと谷口の2人がいなくなって、川瀬は、もはや映画製作は無理だと諦めたようだ。
だが、イザベルが、タウンゼンドの書斎で、長崎での取材を録音したカセットテープ10本を発見した。
タウンゼンドは几帳面な性格らしく、テープには細部に至る情報が入っていた。

2018年、川瀬はイザベルを長崎に呼び、件の小説とテープに残されたタウンゼンドの声に従って足跡を彼女に辿ってもらい、それを撮影していく事とした、確たる台本は作らぬまま。
若い頃のイザベルは、思うに、出兵と世界を巡る取材旅行のため父と深い関係が築けなかったのではなかろうか。
イザベルは、父についてもっと知りたいと思いながら街を歩いたに違いない、父はどんな人間だったのか、そして、その父が友情を抱いて交流した極東の国の谷口稜曄はどんな人物だったのか。
谷口が赤い自転車を担いで日頃上った石の階段を歩き、原爆で吹き飛ばされた山上の神社の前に立ち、どのようにして生き延びたのか追いかけ、改めて彼の痛みを感じた。どれ程我慢強い人間であったか、イザベルは追体験した。
そして、谷口を見つめる父タウンゼンドの眼差し、そして、作家として己に課した強い思いを感じとった。

その夏は折りしも谷口の新盆で、長崎ならではの「精霊船」が作られ、遺された家族親族や隣組の人達によって曳き回しされた。
船には「谷口家」と書かれ、遺影が飾られた。イザベラも、彼女と一緒に来日した夫と2人の娘(中学生と高校生くらいだろうか)も、その船を曳いた。
専ら厳しい表情を知られた谷口だが、その遺影は微笑んでいた。

被曝者達は永く偏見に晒され、結婚できない人も多かったが、谷口は栄子という素晴らしい女性と巡り会い、結婚する事ができた。
しかし、彼女が妊娠した時、谷口の苦悩・怖れは如何程のものだったか。
幸い五体満足の娘と息子に恵まれるが、谷口の心の痛みは、スクリーンを通してひしひしと伝わってくる。

イザベルは長崎のある浜辺で『THE POSTMAN OF NAGASAKI』の1節を読んだ。夫や娘達は波と戯れて遊んだ。
同じその浜辺で谷口家族4人は、初めての海水浴をした。2人の子供達はまだ小学生くらいだった。
波と戯れている子供達にせがまれて、谷口は羽織っているものを脱いで子供達の方へ歩いて行った。子供達は、周囲の人と父親の背中や胸があまりに違うので、母親の許に駆け寄って泣きだした。
谷口は、子供達の前で、どうしてこの傷ができたのか、ゆっくり嚙み砕くように話して聞かせた。
話をする父の顔を見て、子供達は、全部とは言えない迄も、少なからず理解をしたようだった。
谷口は、のちの世代に戦争の真実を伝えていく事の重要性を改めて感じたのだった。
イザベルは読みながら、父タウンゼンドからバトンを渡されたような気がした。

イザベルは、モデルとして世に出、俳優経験も持ち、長女出産後の2002年にはフランスの学校で演劇プロジェクトを起ち上げた。ワークショップや演出を通じて若者達と交流がある。
2013年にはイリーナ・ブルックのカンパニーに参加し、ヨーロッパ各地の劇場にツアーを行う等の活動もしている。
彼女は、フランスに帰り、子供達の演劇で、ユダヤ人のホロコースト問題と谷口の経験を重ね合わせた物語を制作・演出した。
平和はどうしたら守れるのだろうか。
この映画が日本での公開に辿り着いた今年2022年には、ロシアのウクライナ侵略が起った。ロシアは核兵器使用をほのめかせ、原子力発電所を制圧し楯にとっている。軍事施設でなく、劇場や学校・ショッピングセンターを繰り返し爆撃、一般市民や女性・子供をどれだけ殺せばプーチンはこの戦争から手を引くのか、未だ想像もつかない。
平和のため、戦争の愚かさや悲惨さを語り継いでいく事がどんなに大切か。イザベルと伴に、私達は再度自らの心に確かめねばならない。


(*)今年のNPT会議はこの8/26、ロシア1国のみの反対によって最終文書を採択できずに終わった。
谷口はあちらで憤っているに違いない。


監督・撮影 川瀬美香
構成・編集 大重裕二
音楽 明星/Akeboshi

2021年/日本

アニメで作られたエンドクレジットでは、キャストやスタッフの名の脇を、赤い自転車に乗った郵便配達が走っていく。あとから女性が手紙を持って追いかけていく。
走っても走っても郵便配達に女性は追いつかないが、最後の最後でようやく一緒になり、手紙を渡すと思いきや、2人でスクリーンの外へと(つまり未来へと)走り続けていく。
冒頭で触れたように、ピーター・タウンゼントが書いたノンフィクション小説は『THE POSTMAN OF NAGASAKI』である。
この映画の邦題は『長崎の郵便配達』だが、添えられた英字タイトルは『THE POSTMAN FROM NAGASAKI』となっている。
 
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