(続き)
[第2幕]
中国の北京、スー家の宮殿。
首相就任の祝典、権威の象徴「黄色の長衣」。(*5)
チャン伯父はスーに言う、「黄色の長衣は我等の万世のしきたりを守る者にのみ与えられるのだ。」
求められ、スーは約束すると明言、黄色の長衣を獲得する。
祝福の声が全員から上がる。
全員と言ってもリーザはいない。女性は式に出席できない、これもしきたりである。
式後、リーザがスーの許に来て言う、「あなたは誇らしい」、「でも祝典に出席できなかったのは残念だったわ。」
そして、ついこぼす「ここの生活は息苦しい」。
スーは「あなたが大変なのは分かっている」とアリア〈君こそ我が心の全て〉を歌い、彼女を宥め、理解を求める。
無人の宮殿前。
上級宦官を務める老人が登場。独りで何ともよくしゃべる。(*6)
「今日はスー皇子が4人の妻を娶るめでたい日だ。」
「私の家系は歴代上級宦官だが、それでも人生の愉悦はたくさん知っている」等々、おしゃべりはアドリブを含めあくまで軽く。
そこへグスタフ中尉が現れる。彼はリーザが心配で、外交武官として中国に赴任してきたのである。
グスタフは老人からスー皇子が今日4人の女性と結婚すると聞き、訝しむ。
「スー皇子は既にオーストリアの婦人と結婚している筈だ」と言うと、老人は答える、「彼女はこの事について何も知らないさ。」
宦官と入れ替わり、1人の女性が現れる。ミーという名で、実はスー皇子の妹である。
彼女はテニスもするし、古い慣習に反抗する思いを内に秘めている。
つい先程はチャン伯父から短いスカートについて叱責され、着替えてきた。
ミーが歌う〈青い塔のサロンでは〉、当時の中国の男尊女卑の様子が盛り込まれている。(*7)
「私達の仕事は子供を産んで夫に仕える事。編み物に刺繍、洗濯と料理、その繰り返し。
毎日家に閉じ籠り、靴下を繕い、夜遊びして帰る夫を待つ。
私達女にだって感情はある。
私だってキスや恋愛を学びたい。」
ミーはグスタフに、宮殿を案内しようと申し出る。
スー皇子とチャン伯父が言い合っている。
伯父「伝統に則って中国人の女性4人と結婚するように!」
スー「妻は既に1人おります。」
伯父「就任式でお前は万世のしきたりを守ると言ったばかりじゃないか。」
取り巻きの役人達「白人女の妻等あり得ない。」
不満顔のスー。だが、結局はしきたりに従うと答える。
スーは1人悩み、再び歌う〈君こそ我が心の全て〉。
「私の心は君のもの、君がいなければ無に等しい。
花は枯れる、太陽のようなあなたのキスがないなら。
私の最も美しい歌は君のもの、それは愛で花開いた歌だから。」
ミーに連れられたグスタフ、リーザとの再会を果たす。
驚くリーザ。
グスタフは経緯を話し、「スー皇子が今日4人の女性と結婚すると聞いたが…」と問う。
リーザは即座に答える、「そんな事はあり得ない。彼は古い慣習を乗り越えてきた存在なのだから。」
そこへスーが通りかかる。
リーザは詰め寄る。
スーの答えはやけっぱちのように聞こえる。
「その通り、我が国の風習をよくご存知だ。
君達ヨーロッパ人の目からすれば奇妙に見えるのは分かる。だが、しきたりに従うだけの事で無意味な儀式なのだ。
私達2人の生活には関係ない。」
スーはそっけなく立ち去る。
リーザはスーの返事に驚愕し、落胆する。そして、悶々と考えたあげく、「私はオーストリアに帰る」と言う。
グスタフはリーザの気持ちを理解し、準備をしようと申し出る。
リーザは1人残って嘆く、「もう終わりだわ。故郷に帰りたい。」
4人の女とスー皇子の結婚式が華々しく執り行われる。
ダンスとアクロバットの融合。
式後、スーはリーザに理解を求めて話す、「実際には無意味な事、だが、しきたりで仕方ないのだ。」
リーザ「私には無意味な事ではない。私は帰ります。」
スーはリーザの発言に驚き、感情に任せて叫ぶ、「出ていく事を禁ずる。」
リーザ「何の権利があってそう言うの?」
スー「私が主人だ。価値のないものはいつでも壊せる。君はここではそういう存在だ。ここでは私の言葉に従え。
孔子は言っている、女は自由に行動させてはならない。
ここでは男が女の首を刎ねる事だってできる。」
激高し、スーはリーザを押し倒す。
床に倒れたリーザの声は低く冷たい、「あなたの正体が見えたわ。」
スーは力なく言う、「何故私を夫に選んだのだ。」
リーザ「何故? 愛していたからよ。」
スーはもう一度言ってくれと懇願する。
が、リーザは立ち上り、スーを正面から指差して言う、「いいえ、この仕打ちは許せない。あなたには本当にがっかりした。
父や友と離れ、故郷を捨てて見知らぬ国に来た、歓びとときめきを胸にして。
でも今全てが分った。あなたは甘い言葉で手なずけ、偽りのおとぎ話を聞かせた。
あなたはずる賢い人、恐ろしい中国人。殴るでもいたぶるでもすればいい。
でも私に命令する事はできない。あなたは愛を憎しみに変えてしまった。
めくるめく冒険だったけど、もう全てお終い。」
リーザは足早に立ち去る。
残されたスーは悔やみ、「悪夢のようだ、愛しているのに私は何をしてしまったのか。お終いだ、憐れなスー・チョン。」
激しく慟哭し、混乱して歌う〈君こそ我が心の全て〉、
「私の最も美しい歌は君のもの、それは愛で花開いた歌だから。
おとぎ話の幸せを信じていたが、夢はもう二度と戻ってこない。
どうかもう一度言って欲しい、愛していると。」
いくらスーが激しく歌っても、現代人の観客の共感は得られない。
この物語の主役はスー皇子だったのだが、人々の心はリーザの方に行ってしまう。
メディアが違うので比較は難しいけれども、本公演のスー皇子役、チェ・ウォンヒ。初めて聴いたのだが、力み過ぎて粗さが出る。フォルテッシモの叫びでも透明で美しい歌声はやはりルネ・コロに分がある。
(*5)このオペレッタは1929年10月にベルリンで初演されたのだが、実は前史がある。
レハールは、ヴィクトル・レオンの台本によって《黄色い上着》なるオペレッタを作曲、1923年2月に初演した。「黄色い上着」とは、先に書いた通り、中国を統べる者の権威としきたりの象徴である。
しかし、オペレッタ《黄色い上着》は物語の要素がごてごてとし過ぎて整理されていない等、評価が得られず、レハールは台本をルートヴィヒ・ヘルツァーとフリッツ・レーナ―=ベーダに改作させ、音楽も書き直し、《ほほえみの国》として1929年の再初演に漕ぎ着けた。
何度も繰り返される〈君こそ我が心の全て〉も、あとから書き加えられたものだ。
《ほほえみの国》は《メリー・ウィドウ》(1905)と並ぶ傑作として世に受け入れられた。
(*6)上級宦官の老人を演じたのはハラルド・セラフィンである。
ウィーン・フォルクス・オーパーで活躍した元バリトン歌手だが、現役引退後1993年〜2012年の間メルビッシュ湖上音楽祭の総監督を務めた。
もはや歌手としては働けないが、歌がなくセリフのみのこの愉快な宦官役は、時折りアドリブも加える等、まさにうってつけである。
観客もそれを知っており、セラフィンは大きな喝采を受けた。
(*7)中国だけではなく欧米でも、20世紀初頭段階では、女権の実態はまだまだ低いものだった。
イギリスで、30歳以上に限定して女性に参政権が認められたのは1918年、アメリカでは1869年より州毎に徐々に進展、ワシントン,カリフォルニア,イリノイ各州で女性参政権が認められたのは1910年、日本は遥かに遅く第2次大戦後である。
オーストリアも1918年に限定的に与えられた。
スー皇子のリーザに対する態度は、現代からすれば酷いものだが、初演当時は必ずしも特別なものではなかったと考えるべきだろう。
(続く)
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