令和3年、100本目の鑑賞作品はブータン版『二十四の瞳』

×12。
100『ブータン 山の教室』★5.
記念すべき100本目にふさわしい素晴らしい作品だった。
少なくとも文明国に生まれ、多少の不便は経済力によって便利に過ごす毎日の自分(←おいら)にとって、ルナナの人々の人生はまったく違うステージの話。
それなのに、ブータンの山々に雪が失われ、不便を常とする彼らの国にも影響を与えている消費大国の無作為。
SDGsというワードに虚しささえ感じてしまった、象徴的なドラマだった。
若い先生は《心》を入れ替えたといえるのか、それとも生きていくために仕方のない選択なのか。答えはないけど、二十四の瞳なら、きっと教え子たちが親になったころに、あの村に帰っていく。
そして、村長やヤク飼いのお兄さんをはじめとしたルナナの人々の優しさは、まるで厳しい環境にも美しく咲き誇る高山植物のようだった
良い映画を見せていただいた。
ところで、この作品を鑑賞した映画館(小屋)が、とても印象的で忘れえない経験。
《シネコヤ》
湘南のラグジュアリーエリア・鵠沼海岸に、小さな小さな映画小屋があると知って、初めて訪ねたのが2年ほど前、2019年のこと
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973207355&owner_id=8666179
その時は運動会が目的だったから、映画を観ることもなく、本来は必要な入館料を払うこともなくフロントのお兄さんと仲良く会話をして、1階の貸本スペースを見学させていただいている。
今回、会員さんからのご招待を受けて、初めてのシネコヤ体験。
気のせいかも知れないが、2年前よりも洗練されていて、1階の貸本スペースに見事なまでに映画関連の書籍に溢れ、奥手の書棚にはキネマ旬報のバックナンバーが年代順に並んでいる。
背表紙が白・赤・黄のリピートだった1970年代。
自分が試写会の招待を目当てに、シティロードやあんぐるから卒業して、キネマ旬報を買うようになったのは、高校生時代からだっただろうか。
まさに自分にとっては《映画館が学校であり、映画が教科書だった》時代。
生徒のひとりとして、授業をしてくれた先生方には申し訳ないが、自分に備わった多くの知識のほとんどは映画を通じて血として肉とした。

「読者投稿にも掲載されたことがある

」
試しに手に取ってみたキネマ旬報の読者投稿欄を読みながら、そうつぶやいた。
映画雑誌に囲まれたシネコヤのワンスペースに立っていたら、上映開始時間すら忘れて映画少年だったころに時がすっかりと戻っていた。
世界で一番好きな映画館になったかもしれない。感謝。
シネコヤの2階へ初めて足を踏み入れる。
赤のビロードが取り巻くエントランスには『アメリ』や『バファロー66』など、ミニシアター系名作の関連資料。
そして、カーテンだけに仕切られた上映ルーム(写真上部)が視覚に入り、息を呑む。
両サイドにも映画関連書籍が並び、まるで瀟洒なサロンのようだ。
フロアにはディスタンスをしっかりと確保したチェアやペアシートが置かれている。
定員、わずか15名。
実は、このシネコヤを、かつてあった渋谷のミニシアターにシンクロして、勝手にイメージを膨らませていた。どうせ、あんなものだろう。
渋谷ミニシアター乱立時代、わずか4年半だけ営業して閉館した《渋谷シネ・ラセット》

移動自由のチェアやソファがスクリーンフロアに置かれて、勝手気ままな場所でデジタル上映を鑑賞する。寝そべってみてもいい。
スクリーンがルームシアター並みのサイズで、魅力もなく、きっとおいらは、1度しか訪館しないまま、ひっそりと幕を閉じた。
そんな感じのミニマムスクリーンを想像していたから、シネコヤのサロンを目の当たりにした途端、「ごめんなさい、シネコヤ」とオーナーに伝えることがミッションとなっていく。
2017年にオープンして4年が経つ。
クソコロナの影響もあり、必ずしも経営が順調ではないことは想像に難くない。
現在は木曜日から日曜日まで、週4日間の変則開場。定員が限られているので、限界収入がすぐに計算できるほど。
きっと、鵠沼の住人たちが支えてくれているに違いない。
国道1号線で遥か彼方の川崎からも、これから月1をMAXに通い詰めて、勝手に応援し続けたい。
映画ファンのマイミクさんたちには、必ず《シネコヤ》へ行くべしとの緊急事態宣言を発令する。映画が好きなら、絶対に非後悔。
鵠沼さんぽ
この日は風も強く、クリーンな状態とあって、自転車にボードを積んだサーファーたちが行きかっている。
先の東京五輪でブロンズメダリスト・あむろ選手の地元でもある。
黒マーチを無料で置かせていただいた鵠沼公民館には、あむろちゃんへのおめでとうメッセージで溢れていた。
ちなみに、あふろちゃんの名前は「安室、波へ」から付けたとか、付けなかったとか。(←付けなかった)
岸田劉生が描いた《鵠沼風景》。
《旅館東屋》
明治30年から昭和14年まで、この地にあった旅館。
現在はすでに分断分譲されていて、見る影もないが、角地に建てられた記念石碑には《文人が逗留した》との冠書き。大正・昭和の多くの文人が、この旅館に宿泊・逗留し、作品を描き上げていたようだ。
商店街を散歩していたら、気になるポスターに惹かれて、セレクトショップへ飛び込んだ。出掛けようとするオーナーが解説をしてくれて、旅館東屋の解体シーンが撮影されたDVDを衝動買い。おまけとして、東屋居間の天井板がシリアル番号とともに付け加えられていた。
鵠沼海岸。
シネコヤ。
100本目の映画をここで観ることのできた僥倖に感謝。
昨年の100本目は12月の映画の日だったから、今年はだいぶヒマなのだ。
■開設中止の海水浴場に家族連れ次々 16歳の死亡事故も
(朝日新聞デジタル - 08月20日 15:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6636377
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