4/7(水)、天竜川の上流、水窪(みさくぼ)町にあると友人から聞いていた高根(たかね)城に行ってみる事とした。
下は観光協会水窪支部のサイトから借用した高根城の遠景。
水窪は我が家からだと車で2時間近くもかかる。
浜松市天竜区水窪町は北に長野県、西に愛知県と接している。遥か昔は、遠州でなく信州伊奈郡遠山郷(現 長野県飯田市南信濃)の一部 奧山郷だった時代もある。
その名残で、今でも長野県境の兵越峠(ひょうごしとうげ)では、毎年「峠の国盗り綱引き合戦」が行われ、その勝敗によって県境が1m単位で動く。勿論行政上の話でなく、地域振興、ユーモアである。しかし、参加する猛者達は毎年必死になって綱を引く。
目的地の高根城から国道152号線を北北東に18km程上がれば兵越峠に到着する。天気が良ければ車で40分程だと言うが、大雨や大雪の時は通行禁止になってしまう。
我が家を起点にすると、天竜川沿いにその152号線を北へ走り、船明(ふなぎら)ダム、秋葉ダムを越えてしばらく行くと、水窪川との分岐点に出る。西に天竜川本流を行けば、巨大な佐久間ダムの姿が視野に入る筈だ。
水窪川に沿って、萌黄色も入り混じる美しい山中の道を更に北進すると、相月(あいづき)辺りで、愛知県側を走って来たJR飯田線と出会い、車は川とレールと伴に走る事になる。残念ながらその単線を行く電車には遭遇しなかった。1時間に1本もあるのだろうか、何色でどんな恰好をしているのか、何車両か、私は鉄道に詳しくないので知らない。
急に開ける場所に出るが、そこが水窪の中心地である。
高根城はその手前で東に折れるのだが、先に街中に入り、小さな水窪駅と川を挟んだ場所にある地場産品販売店「碧」(リニューアルしたばかりで、旧店名は「国盗り」と言った)で、予約しておいた弁当を貰う。
ここらは広い盆地状になっていて、縄文時代からの遺跡もある程、古くから人々が住んで集落を形成していた。
少し道を戻って、小さな橋を渡り、向市場(むかいいちば)駅、水窪中学等を巡る細い道を迷いながら、高根城公園の駐車場を探した。
山の麓の20台ばかりの駐車場に車を置き、袋に入れた弁当をぶら下げて、ここから城址迄20分強歩く。
久頭号山(くづごうやま/通称三角山)の山頂は標高420mで、時間では短いが、かなりの傾斜があるくねくねした山道で、次第に息も切れる。
1993(平成5)〜99(平成11)年に城址の発掘調査が行われ、綿密な時代考証を経て、城内の建物が復元されたようだ。ムードに押されて造ってしまった浜松城のようにいい加減なものではないらしい。
山頂に着くと、先ず本曲輪の城壁が迎える。城と言うより砦と呼ぶ方が相応しそうだ。
壁に開けられた縦長の窓は「狭間(さま)」と言って、中から弓を射るためのもの。
「大手門」(と言っても小さなものだが)から入ると、高さ8mの「井楼櫓(せいろうやぐら)」がある。
今は櫓の中に入れないが、戦国時代は、この上から水窪の集落と秋葉街道(太平洋と信州をつなぐ重要な「塩の道」でもある)を遠望し、敵の来襲に備えたのだろう。
釘を使わない当時の建築技法で造られている由。
他には稲荷神社その他があるだけで、本曲輪は35×20mの広さしかない。
そう言えば、駐車場の脇、山道入口に稲荷の赤門とコミカルな表情の白いキツネ像があった。
それと山頂の神社とは呼応する関係だったのだろう。
この社の縁先に座って、街で求めた弁当を食べた。
本曲輪裏の「搦手(からめて)門」を出たところから、下方に水窪の街が見渡せる。
青空を走る雲の影が、街や山々にコントラストをこしらえている。
南アルプスにつながる北の山々の姿も、溜め息が出る程美しい。
(続く)
ログインしてコメントを確認・投稿する